尾道から沢山の方がいらっしゃって、昼間のロビーに広島弁が溢れる。きちんと化粧してハイヒールを履いて女優ぶっていたのに、顔がゆるんで困ってしまう。頭のなかはすっかりカープだし、思考も広島弁で行われるし、新宿の劇場の入口に澄まして立っているのがばかみたい。
しあわせに育った自分に、引け目を感じることがあった。もっとかなしみを知らなければいけないのではないか、貧しさを知らなければいけないのではないか。劇団に入ってからそれは加速した。
いつだったか帰省中に「ある日どこかで」という映画を観た。それは「スーパーマン」で有名な俳優さん扮する男性が、過去の女性に恋する物語で、幕切れはあまりにどうしようもなかった。映画としてではなくて、男性にとって、どうしようもなかった。かわいそうでかわいそうで、わたしは声を出して笑った。顔をしかめる母に「だってあんまり救いようがなくて」と、理由になっていない言葉を繰り返し、笑い続けた。
絶望と同時にからだも滅んでしまう彼の姿に、あまりのあっけなさに、不意を付かれたのだと思う。そんなわけあるかい、と思ったのか、自然に滅べれば楽だと思ったのか、今もよくわからない。わからないけど、たくさん笑った。
ただ、映画のなかで、女性が彼の名を呼ぶ声。ほんとうに誰かを愛したことのあるひとだ、女優はこの声を出せなければ駄目だ、とはっとしたのを覚えている。
母がくれたお気に入りのくたっとしたコートを、ガウンのように羽織って寒空の下、歩く。初めて着たのがほんの数年前だなんてうそのよう。あのときわたしの髪は短かったし、口紅が嫌いだった。黒い服はもう見たくなかった。
かなしみなんて放っておいてもやってくる。ほんとうにかなしみが知りたければ、ほんとうに誰かを愛することだ。愛という言葉しか浮かばなくて嫌だけど、言葉にならない気持ちを、愛とかしあわせとか呼ぶのではないかと思う。
とか書きながら目を上げたら、『100万回生きたねこ』の広告が目の前にあって、自分の言葉の陳腐さに愕然として白目になりそうだった。
絶望して死んでは芝居ができないし、失ったら死んでしまうくらい誰かを愛してなきゃあの声は出せない。
「わたしね、不幸を知らなきゃいけないと思ってたの」
電話の向こう、陽が差す庭が見えるようだ。大きく育ったレモンの木。祖父と母とで種を蒔いた小さな小さな畑。
「そうなんじゃろうね」
祖父がいなくなってしまってからは愛情をバラの花に注いでいるらしい。かわいい生徒たちはみんな進路が決まって「タンポポの綿毛みたいにそれぞれの道へ」去っていくらしい。
家族と離れて芝居をするのは、かなしい。今までよりずっとかなしい。