『父と暮せば』の勉強会の最中、わたしはアパートで「祖父と暮せば」状態なんです、という話しをしたら真剣に、「それおじいさまが成仏できなくてかわいそうよ」と諭され言葉がなかった。

広島に残した愛犬が死んだときも、やっといつでも会えるようになった気がして、堪らなくかなしいのにほのかにうれしい自分がいた。やっぱり「ロッちゃんがかわいそうよ」と言われて、「東京でひとりのわたしもかわいそうじゃん」と自分勝手な理屈をこねた。


わたしが大切にしていた世界がひとつ、終わってしまった。それはあまりに唐突で明確で、つまり、祖父のいない世界で生きていくことを受け入れたのだった。
『父と暮せば』の美津江のように「ありがとう」を、祖父に言うべきなのかもしれなかった。でも今度こそひとりきりだし、もう貝殻のなかにでも入ってしまいたい、と布団にくるまったら、母から連絡が来て

寒波が来るらしいわよ、でも寒いと牡蠣は太るのよ、

と、うちでは必ずお正月に牡蠣を食べるので喜ばしい、みたいな話しかと思ったら、

シホは牡蠣じゃないから太らないけどね

と、まとめたので大笑いした。貝殻のなかのわたしは痩せ細るばかりじゃん。
この寒さとこころの寒さが栄養に、こころの栄養になればいいのに。寂しい、という感情は自分勝手だと思って生きてきたけれど、誰かに押し付けない限り別にいいのではないか、と30才になって思い至り、もしかしてわたしは寂しいのかもしれない。そんな馬鹿な。と思いながら、数年ぶりに東京で年末年始を過ごそうとしている。

ほんとうに芝居だけが、わたしを東京に引き留めているんだな、と稽古中、台本の表紙の「東京夜光」という文字を見つめながら考えた。この夜を越えた先の家族——ソファに寝転がる犬とか、二階で本を読む父、こたつで採点をしている母——を思い浮かべた。

星野道夫の奥さんがアラスカに渡って間もなく、道夫の友人たちとはじめて顔を合わせたとき、友人のひとりが、日本人の彼女にもわかるようにゆっくり繰り返したという「短いアドバイス」がこころに灯る。

「寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人とを近づけるんだ」

寒波が押し寄せて、寒いことを受け入れて、貝殻のなか育つ想いもあるのかしらん。

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星野道夫
『旅をする木』