「みんなーごはんですよー」
「ばんごはん?」と駆け寄っていく女の子たち。
「でも、まだおとうさんがいないよ」と一人が言うと、「おとうさんはきょうはがいこくにしゅっちょうです」
「でも、わたしには、おとうさんが、みえるきがする!」と目をつけられたのは滑り台の上の男の子で、彼は照れたように首を振るのだが、「じゃあ、おにいちゃんは? そしたら、ずっと、いっしょにここにいられるよ」


ずっと一緒にここにいられる。

川沿いの道を歩いていたわたしは、公園の階段の横の桟橋みたいになっている、世にも幸せな場所を眺めた。

「おとうさん」はいないことがあるけど、帰ったら必ず「おにいちゃん」はいるのだ。小さな頃兄が、「友だちと遊んで帰ってもぼくにはシホちゃんがいるから」って言ってた。

後期試験で大阪の大学を受験したとき、兄は「複雑だ」と言った。「受かってほしいけど、」滑り止めの東京の大学なら一緒に住めるから。ふたり暮らしが始まった。
なんだか晴れていて、なんだか暖かくて、なんだかどちらも休みのようだぞ、と感じ取った気持ちのいい朝は、自転車で近くの丘へ向かう。山で育ったわたしたちは、ときおり自然不足に陥るのだ。帰り道に寄ったのは、小さなインドカレー屋さん。わたしはシソジュースを飲んでいたから、夏だったのだろう。インド映画を眺めながら、最近何しとるん、晩御飯どうする、なんて涼んだ。そのルートはお決まりになり、繰り返された。

青く広い秋空の日「海が見たいね」と兄は言って、「うん」と答えると、「じゃあ行くか」とわたしたちは自転車で多摩川を延々下った。マウンテンバイクの兄に比べわたしはママチャリで、一体何キロ走ったのか。ついに到着したそこは羽田で、海と一緒に兄の好きな飛行機が見えた。

帰りはもう暗くて足下もよく見えないなかを必死で付いて行った。筋肉痛で眠れなかったのは、あれが最初で最後だ。

どんな無茶にも付いていきたくて、見守っていたかったのは、それが兄の魅力なのだろうか。そんな時季も過ぎていった。

雨季のベトナムで、雑貨屋さんに入ったら、店員さんが声を掛けてきた。言葉がわからず日本人だと知れると、どこの店員もそうであるように日本語を使い始めたが、彼女の場合売る気はさらさらなくて、話しをしたいだけなのがかわいらしかった。少し年下の彼女は、いつか日本で働きたいのだと教えてくれた。
離れて暮らす家族が「コイシイ。」と言い、わたしが南米で働いている兄の話しをすると
「オニイサン、コウ?」
「恋わない」と笑うと「ナンデー?」と本当に不思議そうな顔をしたのがわたしには不思議だった。

ただ、その「恋う」という響きが、美しかった。

公園の家族たちを通り過ぎながら、「恋う」人を、ずっと一緒にいられる人を、兄は新しく見つけたのだと思った。日が暮れても解散しない家族をつくるのだと思った。