九十九湾を書く予定でしたが、貴重な機会を得たので忘れないように記事にして挟みます。
濱口監督の書籍刊行記念でもあって、
「ラングからルノワールへ」特集。
イベントは13時開始なので神戸の港を見ながらスタバの珈琲をしばし。
新長田駅に着くと、もうすぐ小学生みたいな男の子が噴水のシャワーで全身ずぶ濡れで喜んでいる。釣られて笑顔になってしまう。
お父さんらしき方が笑顔なので大丈夫でしょう。
お母さんは叱るかもしれないけど男の子はこんなもんです。
(バカです)
そこに思いがけず「鉄人28号」の掲示板を見つけ立ち寄ってみた。
人と比べるとわかりますが巨大です❗️
高さ15.6m体重約50t。
耐候性鋼板で出来てます。
(藤子・F・不二雄さんのSF(少し不思議)マンガに大量殺戮兵器にもなる巨大ロボットを海の彼方に飛んでゆく指令を出すのがあったのを思い出す)
(後で街の案内を読んでわかったが、横山光輝さんは神戸で生まれたそうな。
だからここ周辺は「三国志」絡みの展示なども豊富。
神戸に来た際は観光に良いかも?
ファンの方はね)
そこからほどなく。
「ウエストサイド物語」
「デルス・ウザーラ」などのポスターが。
ここだろね。
今回のイベントはすぐに満席になった。
「牝犬」ルノワール
「スカーレット・ストリート」ラング
その上映の後で、
濱口竜介監督と木下千花(映画研究者)さんとのトークが行われる。
未だ一般発売前の本が特別販売。
(実は発刊が遅れたらしい)
2冊とも購入。
喫茶コーナーがある。
桃ジュースをいただく。
なかなか美味しい。オススメ。
詳しい説明。
“ラングとルノワールがこの二作を通じて、互いを照らし出す。今回は特にラングの照らすルノワールの恐ろしさを感じてみよう。
二大巨匠の演出の違いはそのまま、エドワード・G・ロビンソンとミシェル・シモンのありようの違いとつながる。乞うご期待❗️(濱口竜介)”
この言葉を上映前にきちんと読んでなかった💦
写真として。
左が「牝犬」
右が「スカーレット・ストリート」
でも写真見てもわかんないよね。
さらに詳しく。
濱口竜介監督は「ハッピーアワー」を神戸で準備している際に、ここの映画博物館で3回に渡ってフリッツ・ラングを巡る講座を開いていたらしい。
そしてさらに書かれているのだが、こちらもボクは読んでなかった。
その縁で今回のイベントとなったようだ。
キングコングがいた。
抽選の賞品だったと。
他にもレトロな撮影器具などが置いてありますが、館内を鑑賞するのに30分も要しないかも?
(展示を見るだけなら無料です)
ではネットから写真を無断転載。
上映は「スカーレット・ストリート」から。
最初に言ってしまうと面白い❗️
見る価値は十分にあると思います。
アメリカ映画。
最初はパーティから景気良く始まる。
会社の出納係として生真面目に働いてきた中年男クリス・クロス。
(出納関係はお金を扱うので信頼がないと務まりません)
パーティを終えて歩く道で、男が女性を殴る場面に出くわす。
結果として彼女を助ける。
キティという名の美しい彼女を家まで送ろうとして話が進む。
ついクロスは見栄を張って画家であるとウソをつく。
キティも新米の女優だと言うが少し怪しい。
何度か会うふたり。
キティの表情が暗い。
心配したクリスが尋ねると、
「実はお金が足りないの。
でも大丈夫。心配しないで」
でも心配するよね!
(お察しの通り詐欺パターンです)
「そうだわ。
私が絵のモデルになる。貴方のアトリエが必要だし私も生活できるわ」
アトリエ代を工面しようとして妻の亡夫の遺産に手をつけるクリス。
クリスは日常的に絵を描くのは好きだ。
だが妻は嫌うのでアトリエに絵を運び込む。
その絵を黙って持ち出すキティ。
惚れ込んでるけれどヒモの彼氏と組んでいる。
画廊に持ち込んだクリスの絵は高い評価を受ける。
ヒモ(ジョニー)はキティが描いた絵だとして、
より高く売り出そうとする。
(これがのちに破滅を招く)
クリスは妻から侮蔑の言葉を受け続けている暮らしである。
だからか余計にクリスはキティにのめり込む。
妻と別れてキティと結婚しようとも考える。
(肉体関係はない。
愚かだが生真面目な男はそんな一面がある)
この映画のもっともエロティックなシーン。
キティのペディキュアをするクリス。
キティは彼氏と結託して更にお金を搾り込もうと企む。
ついにクリスは会社の金にまで手を付ける。
この展開は破滅を免れない。
でと。
意図的に説明をカットしてます。
ネタバレは避けよう。
波乱が待ってます。
ネタを調べないで映画を観ましょう。
1945年公開。
ほぼ性的な描写はないが社会規範に外れるためか幾つかの州で公開は許されなかった。
そのためか日本では長く未公開だった。
(しかし日本との戦争が終わった年にこんな映画が発表される。力に余裕がある。
とても勝てないとは思った)
そして入れ替えをして。
「牝犬」ルノワール。
賑やかなシーンから始まる。
(あゝ似た場面からなんだな)
そう思ってたら次々と似ている❗️
男から助けるのも同じだ。
(待てよ❓
ひょっとしてリメイクか❗️)
そう確信したのはだいぶ観てから。
こちらはフランス映画。1931年の公開。
つまりこちらがオリジナルです。
細部は異なる。
しかしほとんど同じストーリーだとかえって全く違う映画に感じてしまう不思議を思う。
演出が全く違うのだ。
画面構成や撮り方も❗️
だから意識してこの2作を並べたんだね。
ラングの作品はカチッとしている。
だかルノワール作品はゆるいというか隙間があるというか。
こちらではベッドをともにする場面がある。
会社の金を横領してクビを告げられるシーン。
生真面目は愚かさかもしれない。
いや?
こちらの方は少し毒をも含む真面目さか。
妻の言葉。
こちらでは前の夫は戦死したことになっている。
(だが実は…モニャモニャ)
(先ほどの映画でもモニャモニャなのです)
ルノワールの方は中年というより初老だろうか。
それでも男は勘違いする。
危険な火遊びを好むものだ。
男にしろ女にしろ。
惚れ込んでしまうと相手の悪意が見えてない。
「ルノアールの方はキスのあと男に突き放されても恍惚としている」
とはトークでの言葉。
ホストに入れ込む女性も見えてないのかなあ。
(ボクも注意しなきゃ。剣呑ケンノン)
ラング作品はラストがバッドエンド。
ルノワール作品はバッドエンドと言い切れない。
どこかしょうがないや的な明るさというかいい加減さがある。
補足しておくとルノワールはあの画家ルノワールの次男。
「ゲームの規則」という傑作がある。
初めの頃は映画が売れなくて借金を父の絵画を売り飛ばして返済にあてたり。
(ろくでなしだ)
でもトリュフォーらに好かれる。
ヌーヴェルヴァーグの先駆けとも言われる。
こちらの映画も終了後に観客を入れ替えて。
トークになった。
ボクはたまたま濱口監督の目の前の席。
一列目。
2人が座って気づいたのは。
来賓席に初めから座っていた2人だったこと。
忙しいだろうに(少なくとも)13時から18時過ぎまで付き合ってるのだ。えらい❗️
著作の刊行記念なのに2人とも終始この2作の話ばかりをする。
(面白いのですけど)
スクリーンに場面を映しながら解釈を進めてゆく。
こうしてスクリーンで観て、改めて気づくこともあると言う。
ボクが作品説明に書いたのもかなりトークの話が入っている。
意識的にせよ無意識的にせよ。
ボクの隣りの若い女性はトークのメモを綿密に取りながら聞いている⁉️
(どこかの関係者かしら)
一番印象的だったのは、
「フレームの中のフレーム」との言葉。
上の写真でもルノワールは、はっきりと映画のフレームの中に四角い窓のフレームを入れている。
向かいの家の窓のフレームもある。
時には奥の方に焦点が合ってることをワンシーンから見せてくれる。
ルノワールは父のモデルをする事が多かった。
絵画はもちろんフレームである。
「動かないで」とは言われた事がないので苦ではなかったと本人が書いているそう。
濱口監督がテーマを上げて、木下さんが根拠となる著作や資料からの裏付けを図る。
そんなトークが楽しく続く。
(木下さんは大学で映画講義をされていたそうな。または現在形かもしれない)
「ルノワールの方が怖い」
そう2人は言ってたと思う。
軽いようで底が見えないと。
ラングはカッチリしてるから見えやすい。
映画の語りも理解しやすい。
だがルノワールは「なんで❓」が数多いと。
トークの内容は著作にも出ているそうなので読まなくちゃ。
期待してなかったけどトーク終了後にサイン会が開かれた。
二冊のサインのより特徴のある方を写した京都駅ホームのベンチ撮影。
【追記】
ボクの前の方が札幌から来ましたという⁉️
だからボクのサインの時は、
「金沢から来ました」と言って盛り上げようとしてしまった。
地震が大変でしたねと思いがけず労いの言葉を貰えた。
振り返ると。
若い女性が真剣に地震は大丈夫でしたかと語りかけてくれて驚いた。
「大規模半壊の判定が出ましたから公費解体になりますから。大丈夫たぶん。
いつ解体になるか見通しはないけど」
そう答えた。
心配してくれてとても嬉しかった。
でもなぜそんなに親身になって聞いてくれるのかを聞かなかった。
(こんな事がボクの最大の欠陥なのだ)
あらためて自分に言い聞かせる帰り道なり。