このアングルがしっくり来ます♪


松浦史料博物館を出て歩みを進めます。



ん?

平戸の六角井戸?



井戸は危険だから最近はどこも覆われてますね。

「番町皿屋敷」は子どもらに理解されるだろうか?



六角井戸は明の様式だという。

明の商人が多く平戸に定住した名残りだと。


細めの通りを歩いてるけど、

かつてのメインストリートだったらしい。



巨大で雰囲気が少し異様な大樹。



階段に覆い被さるように。



「江戸時代初期の平戸には、オランダ・イギリスの東インド会社による貿易の窓口が置かれていた」


樹齢400年ほどだという。

大蘇轍。

貿易商の庭に植えられたと。


てくてくと歩く。

少し坂を上る。



おっ❗️

この辺りかな。



献金箱も置かれています。



あっなるほど。

巡礼地となっているフランスのルルドの泉か。

この洞窟にルルドの泉を重ね合わせたよう。

(そうして献金を募る)

(募ってますが募集はしてないという名言を思い出す今日この頃)



教会も荘厳に見えてきます。



見事な建築です。

モスグリーンを基調とした聖堂。



カトリック平戸教会

(平戸ザビエル記念聖堂)

そう書かれています。


1931年に完成した鉄筋コンクリート造りだけれど「壁や柱に施されたマーブル模様は伝統的な漆喰塗りの技法を用いたもので、平戸の左官技術の高さを窺うことができます」とある。


マーブル模様とは大理石模様のこと。

源流は日本の墨流しで、ヨーロッパに伝わったものとも言われている。

(だとすると逆輸入か?)


(ちなみにマーブルチョコレートは違う意味です)

(↑気になって調べた)



用地や資金に信徒らは長年奔走し、着工は1930年。

全て人力が頼りだった。

信徒たちは大人も子どもも資材の運搬に汗を流した。

港から教会までは急坂の石段なので、当時「十字架の道」と呼ばれるほど汗と涙の工事だった。


そんな言葉がパンフレットに刻まれている。

(ってことは資材は海運で港に運ばれたのか)


入る前に周りを見ておこう。



平戸殉教者顕彰慰霊之碑があった。


どれだけ多くの殉教者がいたことだろう。



こちらにとても丁寧に説明されていた。


ザビエルが来訪した翌年には教会が建てられた。

平戸の殉教者たちの苦難も記されている。

福者に列せられた平戸出身の宣教師らの名前も挙げられている。



「あなたの心に信仰と希望と愛を」


聖フランシスコ・ザビエル記念像。



ザビエルの生涯が書かれている。


“人は全世界を掌にすることができても、

その魂を永遠に滅ぼすなら何の意味があるか”


彼はこの聖句から深く学んだという。


現在の戦争を巡るあれこれに通じるかもしれないね。



こちらはキリストでしょうか。


教会の中に入るといつも涼しい。

静謐さは心が安らぐ。


キリスト教徒でなくてもね。


中は撮影できないので雰囲気はネットの画像から。



教会のアーチ構造はとても美しいと思う。

中央祭壇はかなり大きい。

上部に聖ミカエル天使像がある。


殉教した方たちに少し祈る。

少しだけカンパして静かに教会を出た。



そしてもう少しだけ歩こう。



「寺院と教会の見える風景」

という名所だそうで。


似たのが他にもあった気がする。

(散歩には良さそう)



バスで平戸に向かう際に、平戸大橋(かなり見事な景色が見える橋です)を過ぎて街に入ると、直ぐに目に入る橋。



幸橋と呼ぶのか。


初めは木橋だったが1702年に石橋に架け替えられた。

オランダ商館建造に携わった石工らが、その際の技法を取り入れて造られたと伝わる。


だから別称「オランダ橋」


その近く。



英国商館跡があった。



建物に沿って建てられているので説明は壁にある。

家康の許可を得て商館を建築。

だが1623年、諸般の事情により撤退。

(どんな事情だったんだろう?)


日本国内唯一のイギリス商館だったそう。



横にも説明があった。

10年間の活動。

「対日貿易で成果を上げることができず」とあるが十分に利益は出たはずだと思うのだが。


バスターミナルを目指して。



高いところに平戸城が見える。

だがそこに寄ってたら佐世保に戻るバスが危うい。

見送ることにする。


けっこう歩きました❗️

佐世保行きバスに乗り込んで。



海が見晴らせるホテルに行くのだ!