これ初めはなんの記念碑かわからなかった。

日本語表記がないのです。



平戸オランダ商館から歩く。

なんの変哲もない階段に見えますが…



オランダ塀と呼ばれていました。

ここを通る際、オランダ商館が見えなくするためとも。



塀に遮られて確かに見えません。



見えないけれど平戸オランダ商館跡の説明版。


丁寧な説明が記されている。

オランダ船で日本人が傭兵として東南アジアに渡ったとも。

牢人たちが多数東南アジア各国で戦った話は他で聞いた事がある。

勇猛果敢だったそうな。


(でも兵どもが夢の跡だね)



こんな標識もありました。


登って行きますと。



公園もあって子どもらが遊んでます。



なんで「ジャガタラの道」なんだろ。

たぶんあちこちに歴史があるのだ。



これ何だろうと思ったら。



日蘭親交記念碑なんだそう。

気づきにくい場所にあり、文字も読みにくくなってるけど。



振り返る。

良き風情です。



ずっとジャガタラの道みたい。



だいぶ登りました。

汗かいてるけど。




按針坂があります。



ふう。

ときどき休憩。



ずっと向こうに教会の尖塔みたいな❗️



またもあったか児童公園。


さらに登ると道の左手に標識がある。



フランシスコ・ザビエル記念碑。



アーチみたい。

なんて書かれているのかな?

聖フランシスコ・ザビエル?



広い平地の中心に。



色鮮やかにザビエルの記念碑がありました。

白大理石造り。

十字架をかたどり、中央にザビエルの胸像がある。平戸を見つめているかのよう。

(でも日本語表記がないとわかりにくいぞ)


ザビエルはモンマルトルの誓いのメンバー。

カトリック教会が免罪符を出して、その腐敗に憤った若者たちがイエズス会を創って刷新を図る。


彼らは海外に布教に乗り出す。

ザビエルはマラッカから日本に渡る。


初め薩摩に上陸して布教活動をしたが、僧侶たちと折り合いが悪化して1550年に平戸を訪れる。

ザビエルは数ヶ月で山口に向かうが平戸の人びとに大きな影響を与える。


ザビエルは精力的に活動して各地に信徒を獲得する。

インドに戻り、また中国に渡る。

だがそこで病に伏せ、命を落とす。

46年の生涯だった。


ザビエルは自分の人生に満足したのだろうか。


平戸でもキリスト教徒は弾圧された。

隠れキリシタンとなった人びとを遠藤周作が小説にした。

マーティン・スコセッシ監督は「沈黙-サイレンス」として映画にした。


設定舞台のひとつは平戸である。



自分を導いてくれた師が日本で棄教したと聞き、

危険を顧みず来日した宣教師。

信徒たちは処刑まで受ける。


信徒たちが拷問で苦しむのはお前のせいだと奉行に言われて苦悩する。


神の沈黙を問う宣教師。



“人間がこんなに哀しいのに

主よ 海があまりに碧いのです”


ちゃんと小説の方も読まなきゃ。




按針坂を登ります。



ありました。



三浦按針墓地公園。


ウィリアム・アダムスは初めて日本に来たイギリス人。

妻子もいたが航海で多忙だった。

アダムスはロッテルダムで弟トマスと5艘の船団に航海士として乗り込む。


航海は悲惨だった。

2隻はスペインやポルトガルに拿捕され、

1隻はロッテルダムに引き返す。

2隻だけで太平洋を横断するが、同僚船は沈没。

リーフデ号だけとなる。


病気も蔓延して日本に漂着した時は110人だった乗組員は24人になっていた。

途中で弟トマスも喪う。


臼杵の黒島に漂着。

武器、弾薬などを没収され大坂に移送。

家康に会う。1600年。

イエズス会士は海賊だと処刑を要求。


家康はアダムスやヨーステンから、カトリックとプロテスタントとの紛争の話に納得する。

のちに釈放し江戸に招く。


江戸でアダムスは帰国を願い出るがもちろん聞き入れられない。

家康はアダムスを重宝して三浦を領地に旗本にする。

三浦按針となる。

貿易に貢献するが家康の死後はやや疎まれた。

平戸でイギリス、オランダの商館建設に尽力し、

病没。


イングランドに帰ることはできなかった。



三浦按針夫婦塚。

英国から霊魂の象徴として妻の墓地より小石を取り寄せ、アダムスの骨とともに埋葬した。


領地だった横須賀にも按針塚があるようだ。


しかし日本人妻もいたみたいだけど不明。

彼女はどうするのだろう?


ザビエルもアダムスも波乱の人生でしたね。



平戸藩主だった松浦家が博物館になってる。

覗いてみよう。