復元された平戸オランダ商館の倉庫群。

これだけでも大きいのだから、かつては住居を含めてとれほどの規模だったのだろう?



お寿司屋さんから歩く。

平戸港に沿って道がある。



海の散歩道。

木道の歩きやすい道である。



途中にモニュメントがある。

1550年のポルトガル船平戸入港450周年記念だそう。

(つまり2000年か?)




像がある。



じゃがたら娘像。


じゃがたらとはジャカルタの古称。

17世紀にはオランダ商館やイギリス商館で繁栄を極めた平戸だが、幕府のキリシタン弾圧により、外国人に関係する婦女子32名が追放され2度と帰れなかったと記されている。




平戸も一部は世界遺産に登録されている。

平戸からの巡礼の道もあるようだ。



ちょいと暑いが気持ちよく歩けます。



これが説明もなく何と書いてあるのか読めない。




近づいてきた。

この海の階段から積荷が運ばれたのかもしれない。



復元されたオランダ商館の前には広場がある。

そこに住居跡の碑がある。



穏やかな港だ。



さて。

どこから入るのだろう❓



別の倉庫跡がある。



史料が少ないため復元できないと。



まだ何かある。



こちらはオランダ商館が破却された後、

船の操舵をする下級武士の屋敷があったと。




平戸と出島とを繋ぐ道路をオランダ街道と名付けた。

それを記念したオランダ皇太子の文がある。



まだある。

建物の雨水を流すV字溝跡。

こちらも保存状態が悪く復元できなかった。



さて館内に入ろう。



帆船の碇が目に入る。



「平戸のポルトガル貿易」


1550年、平戸に初めてポルトガル船が来航する。

宣教師たちは布教と貿易を組み合わせる。

ポルトガル船によって運ばれた中国の生糸は日本の(当時豊富にあった)銀と交換され、ポルトガルは莫大な利益を得る。

「西の都」と呼ばれるほどの賑わい。

しかしキリスト教絡みで事件が起こり、平戸での貿易は15年で終了する。


下部に日本語化したポルトガル語がある。

羅紗や合羽、マント、石鹸やビスケットなど多数。


その後をオランダが引き継ぐ。


ポルトガルはイエズス会のカトリック。

布教と植民地化はセットだった。

対してオランダはプロテスタント。

貿易に布教を絡めないと約束した。



洋服を着た日本女性だろうか。



帆船の模型。


 

当時のポルトガル船模型である。



そしてフランシスコ・ザビエル。

ポルトガルから援助を受ける。



彼は鹿児島から平戸に1550年に訪れる。

わずか20日間で100名以上の信者を獲得したという。


ザビエルは3回、平戸を訪れている。



平戸藩主が収集していた聖書。

取締りのためというが学術的な興味からではないか。



日本に初めて漂着したデ・リーフデ号模型。

1600年漂着。関ヶ原の少し前。

大坂で家康が話を聞いた。

(ポルトガル宣教師は処刑を進言するが無視)


家康はオランダの進んだ数学や航海術、西洋事情を取り入れる。


生存者の中にはヤン・ヨースタン(八重洲の由来)やウィリアム・アダムス(三浦按針)らがいた。

(この航海でウィリアムは弟を失う)


彼らは徳川幕府に重用され帰国は叶わなかった。



こちらの説明に詳しい。

リーフデ号の漂着は日本とオランダの交流の契機となる。

(太平洋で同僚船が沈没している)



オランダ船は威力のある大砲を何十門も備えていた。

平戸の商館で大砲の修理も行われた。


島原・天草一揆の際、オランダ船は幕府の要請で原城に砲撃している。

ポルトガルからの救援を待つ一揆勢には精神的に大きな打撃だっただろう。

同じキリスト教徒なのにという思いだったかもしれない。



オランダ使節に対して徳川家康が与えた朱印状。

渡航許可証です。



東インド会社使節紀行。



1621年平戸図。

平戸港最古の地図とのこと。

この頃はオランダ商館とイギリス商館があったが、イギリスは撤退する。



こちらも家康の朱印状だが。



イギリス宛である。

家康としては天秤にかけておきたかったかな。



展示室はこんな雰囲気です。



非常に貴重で高価だった香辛料の数々。



文字通り世界を股にかけた貿易だっただろう。



南蛮甲冑。



こちらは将軍や平戸藩主への贈答用。



西洋甲冑と書かれてますね。


信長はどこから西洋甲冑を手に入れたのだろう?



万延元年菓子図鑑。

カステラなど西洋菓子が平戸でつくられていた。



ドラえもんが喜ぶどら焼きもありましたか!



お洒落な雰囲気。



殿様の逸品。

平戸藩を治めた松浦家は西洋趣味。



拳銃もあります。

右側がオランダ短銃。



西洋かぶれの太刀。



植物ハンターも暗躍しただろう。

(莫大な利益がある)



え〜とね💦

この紐を引っ張ることが重要なのです。

(どう重要なのかは忘れた)

(たぶん重い貨物を運ぶため?)



平戸オランダ商館は東インド会社が1609年に貿易を許可されて設立された。

繁栄したものの家光の時代の1640年に徹底的な捜索があり、この西暦を使った看板がキリスト教的だと言いがかりをつけられ(家康が鐘の文に文句を言ったみたいな)全ての建物が破壊される。


33年間の平戸オランダ商館活動だったが、

平戸の街のあちこちに名残がある。


オランダ商館は縮小して出島に移転する。


(出島からポルトガルを追放したので商人たちが要望したという説もある)



ミュージアムショップ。

この地球儀欲しかったなあ。


再建された平戸オランダ商館。

なかなか見応えがありました❗️

歴史が学べます。



ではフランシスコ・ザビエルを探そう。