「関心領域」
ナチス親衛隊がアウシュヴィッツ強制収容所のことをそう呼んだらしい。
だが映画を観終えると、ひとがどれだけ関心を持つのか。或いは持たないのか。
それを問うように思われた。
強制収容所の壁を隔てて平和な家族が描かれる。
ルドルフ・ヘスの家族の姿である。
諍いは時にあるものの、あくまでも平穏な日常。
ただ彼はアウシュヴィッツ強制収容所の司令官である。
(実際に家は収容所のすぐそばにあった)
子どもたちの歓声。
夫婦の会話。
家政婦どうしのやりとり。
彼の妻が丹精を込めた美しい庭園。
川遊び。
そうした平凡な家族の姿が淡々と描かれる。
ただし❗️
時に黒い煙が立ち上るのが見える。
しばしば銃声が聞こえる。
怒声。
悲鳴。
犬が吠える。
そして銃声。
家族はそれらに全く反応しない。
壁の向こうでの描写は一切ない。
残酷行為も少しも描かれない。
ただ少しだけ普通ではない場面もある。
衣類の束が置かれて家政婦たちは服を選ぶ。
「ユダヤ人のセンスはいいのね」
「歯磨きにダイヤを入れてたのよ」
などと会話する。
妻は毛皮のコートを着て鏡に写す。
それらの本来の所有者の境遇は少しも考えない。
ヘスが収容所の仕事の商談相手を家に招く。
その相手は新しい焼却炉がいかに優れているかを語る。
連結した焼却炉は、片方が1,000°の時片方は40°に冷却できると語る。
その温度なら残物を容易に片付けることができる。
商品の処理能力の優秀さをビジネスとして会話する。
時折り理解が難しい映像が現れる。
暗視カメラで捉えたような少女。
おそらくポーランドの少女が収容所に林檎を埋めて歩く。
そういう少女は実在したらしい。
ここでは唯一の希望の象徴だろうか。
音響は不快な音を立てる。
もちろん意識してだろう。
描かれる日常生活の中に不快な音が存在する。
唐突に現在のアウシュヴィッツ収容所の映像が挟み込まれる。
ガス室を掃除する年老いた男性。
ここでどれだけの人々が苦しんだのかを想像しないではいられない。
そしてガラスの向こうの展示だろうか。
膨大な膨大なまるで無数にあるような靴❗️
その全部の靴はかつては誰かが履いていたのだ。
異様な圧迫感を覚える。
そうしてドラマチックでなく映画は終わる。
そして観客は問いかけられる。
“巨大な悪”にあなたは無関心でいるのか❓
ジェノサイドを受けたユダヤ人たちはパレスチナ人の住んでいる土地を軍事的に奪い、イスラエルを建国した。
そして拡大し続けた。
いま。
イスラエルはパレスチナ人のジェノサイドを行っている。
(なんて皮肉な話だろうか)
アメリカはイスラエルを支援し、アメリカに追従する日本も間接的に支援している。
その日本に住む私たちは“無関心”で良いのか。
無関心な態度はヘス家族と同じではないのか。
そうした問いをこの映画はこれからもずっと発し続けるだろう。
さてと。
ボクはどうするか、だ。