“ホリー・ゴラントリー(オードリー・ヘプバーン)は、NYの安アパートで名無しの猫と暮らしている”
ここではNYの安アパートと書いてあるけど、
映画では広くて豪華に見えるんだけどなあ。
(住宅事情が違うのだろうか?)
今回の午前10時の映画祭。
(次回の「ベルリン・天使の詩」も楽しみ😊
再観は新しい発見があります)
初めて観たのはテレビだった。
たぶん中学生のころ。
まだ若かったからか、或いは字幕がテレビ向けに大人しかったのか今回観ると印象はずいぶん違った。
(当時はどうして生活費を稼いでいるか気にも留めなかった)
冒頭は早朝。
ティファニー本店に現れる黒いジヴァンシーのドレスを身に付けた美しい女性。
珈琲とクロワッサンを口にしながらショーウィンドーを眺めている。
ヘンリー・マンシーニの音楽が流れる。
(この映画の影響で近年ティファニーで朝食がいただけるお店が本当にできたそうな)
隣室に作家を志すポールという若者が現れる。
どうやら彼は創作に行き詰まり、お金持ちの女性のヒモでもあるらしい。
(これはカポーティ自身の投影があるだろう)
ヘプバーン演じるホリーは不思議な毎日を送り、ポールを巻き込む。
メチャクチャな、しかしお金持ちのパーティ。
NY社交界を描く。
ホリーが持っている全米トップのお金持ちのリスト。
彼女が経済的な上昇志向なのは間違いがないようだ。
印象的な言葉があった。
「化粧室に行くと50ドルもらえるの」
ドキッとした。
この言葉はTVの字幕にあっただろうか?
ホリーの過去も明らかになる。
貧窮して14歳で歳の離れた獣医と結婚。
そこから逃れてきたのだ。
田舎で暮らしていれば平穏ではあっただろう。
だが何かを求めずにはいられない。
(ウーマンリブ運動以前のころ。
経済的に恵まれない女性の自立は迷走する)
ラスト近くでの言葉も憶えている。
「ホリーでもルラメイでもないわ。
私は名無し猫のように何者でもないのよ!」
ホリーは飼い猫に名前を付けてない。
その猫のように私には自分がないと叫ぶ。
(これはこの時代の女性の叫びではないのか?)
ヘプバーンもいつまでも「ローマの休日」のような清純な少女ではいられない。
30代を迎えた彼女にとっても転機となる作品だった。
ただカポーティの小説のままに“性的”なイメージの演技をする訳にもいかない。
だから意識して曖昧な演出となっている。
それでも映画の女性像を変えたとWikiは言う。
家庭に収まらない女性が斬新だったのかな?
「ムーンリバー」を歌うヘプバーンが観られるのもこの映画の魅力のひとつ。
映画のあらすじとは関わらない場面が映画本体の輝きを左右するのだ。
何かほっとできる場面。
穏やかな優しい歌声です。
さて。
ホリーはお金に包まれることになるのか。
或いは自分を見つけ出すことができるのか。
ヘンリー・マンシーニの音楽は魔法のようだ。
ティファニーでは今でも付録の指輪に10ドルで名前を彫ってくれるんだろうか❓