今回の旅のテーマは紫式部。

彼女が暮らした場所は今は廬山寺になっている。



道すがら、かなり格式のある校舎を通る。

この辺りに藤原定家の晩年の邸宅があったと記されている。



百人一首の撰者として有名だが、

古典文学研究の顕著な功績もある。


各種が存在していた源氏物語の校訂が代表的。

現在読むことができる源氏物語は概ね定家の業績に立脚している。

彼の日記「明月記」は冷泉家に代々受け継がれている。

(この近く)



あゝ小学校でしたか。

校章に「極」の文字が入ってますね。



さて廬山寺に着きました。



寺の由来が延々と書かれているが、

終わりの方に紫式部の記述がある。


“紫式部の曽祖父がこの地に邸宅を構えた。

紫式部はこの地で育ち、

結婚生活を送り、(でも通い婚でしょ?)

「源氏物語」を執筆したのである”


ひとり娘を育てながら。



こちらの方には紫式部の記述はない。



「偉人」という言葉はあまり好きじゃないなあ。

英語、韓国語、中国語で書かれてますな。



こっちの方がシンプルで宜しい。



こちらの記述の方もわかりやすい。


“廬山寺は豊臣秀吉の時代に、この地に移されたもので(略)

ここで「源氏物語」や「紫式部日記」が執筆されたという説があり”


こちらは正直に書いてますね。



入ります。



撮影できる場所は少ない。

なにも金色にしなくても💦



兄よりも先に漢文を覚えてしまった。

父が「この子が男の子だったら」と嘆いたエピソードが記されてます。


ドラマでも岸谷五朗さんが何度も言ってます。



室内には源氏物語絵巻(複製かな?)など貴重な展示がありますが全て写真🆖。


平安風の庭を眺めます。



桔梗が美しいそうな。

(いつ頃だろう?)


特別拝観の方は仏像ばかり。

まだ20歳くらいに見える係の女性に、他に見るべきものはないかと尋ねると。

「天皇のお墓や御土居があります」

秀吉の?

「ええそうです」


まだ若いのに御土居をご存知でしたか。

外に出てみよう。



建物脇に紫式部の歌碑があった。



その説明板。

(なんて書いてあるか読めない)



指示に従って建物の周囲に沿って歩く。


一般の方のお墓がたくさん並んでいる。

慶光天皇のお墓はどこだろ?



これだと思ったのだが。

ネットで調べてみるとこれではない。

もっと立派な形を成している。

(見つけられなかった)

「光格天皇」とは記されている。

菊の紋章があるとはいえ簡素なお墓でいいんだろうか。

(15基あるとネットでは書いてある。

皇族ででかな?)


まあ御土居はすぐわかった。



自然とは思えない高さ4m以上の土が盛られて遮っている。

これがかつては洛中全部を巡っていたのだ。


だが標識が見つからない。

「藪をかき分けて」とお姉さんは言った。

本当に少し土にまみれて探すこと30分。



諦めかけた時に発見。

簡単な場所じゃないか⁉️

「史蹟 御土居」の文字が読める。


北野天満宮ほど大規模に残ってないけど。

まあ良しとしよう。


身体をはたいて土を落として。

ここから御所は近いはずだ。

紫式部が通勤してたのだから。



うん。

近くに門があった。



土御門第跡に着きました。



藤原道長(紫式部の愛しいひと。ドラマでは)の大邸宅がかつてあった場所。


この世をば

わが世とぞ思ふ望月の

欠けたることもなしと思へば


この歌はここで催された宴席で詠まれたと伝わります、とのこと。



仙洞御所の午後の予約を取ろう。

しかしいつもパトカーがいるんだよね。



ランチのためにバス停に向かう。

しかし無駄に広く長いなあ。


(かつては貴族の邸宅が立ち並んでいました)



【ひとり言】

ブルーインパルスを飛ばしてくれても何の元気も出ないけどなあ。

その燃料代を奥能登の支援に使って欲しいもんだ。