ちと投稿が遅れてしまったけど、

能登演劇堂で無名塾公演がありました。


「等伯〜反骨の画聖〜」

繁栄を誇った狩野派に挑んだ長谷川等伯を描きます。



金沢駅から団体バスに🚌



本日は穏やかな海。



少し寝ていたら能登演劇堂でした。



樹々が赤く色づいてたんだけど逆光で見えませんね。



中に入ると賑わってます。


ちょっと喧騒から逃げて演劇博物館へ。



巨大な馬車がまだありました、



大道具さんご苦労さま。



舞台で使ったピアノも。



チェーホフのかもめで使ったそうな。



先ほどの巨大な馬車が使われた写真かな。

しかし馬がいない。

人力車か?



イヨネスコの不条理劇「授業」もあり。



前回観に来た「いのちぼうにふろう物語」

この時は仲代達矢さんが出ていた。

とても素敵な舞台でした。

でも今回は演出に専念すると言う。



田舎に貴重な賑わいなのでお店が出てます。

お弁当やお土産物やお菓子やら。



仲代達矢さんが指導しているという演劇科からの花束。



なぜか加賀屋の社長さんからも。

ほか略。



お昼は頂いてないので中島町名産の牡蠣弁当を。

500円也。

(能登中島町に牡蠣人気店あり〼。

夏期に限らず繁盛)




ついでにおはぎのようなお菓子を。

実は「栗入りえがら饅頭」

もぐもぐ。



高浜虚子が中島に来た時があったらしい。

それに因んだ羊羹がある。



いさざ金

白魚銀と

区別せん


昭和24年だそうな。



小松砂丘という画家が字と絵を描いたらしい。



能登演劇堂の建設にあたって古い煉瓦を持ってきた。

無名塾が活気に溢れた時代だね。



仲代達矢さんを中心に主役たち。

名前はプログラムは自宅に置いてあるのでわからない。

長谷川等伯と初めの奥方役。


等伯は能登七尾で生まれる。

(冒頭ので舞台奥扉が開く。

かつての七尾の賑わいが奥深く広がる)

日蓮宗関連で仏画や肖像画を描いていた。

能登では人気を博していた。

だがたかが田舎絵師。

それが京へ妻子を連れて出る。

成算は何もなく。

ただ己の才覚のみを信じて。

ただ夢だけを追いかけて。


京でさらに研鑽を積む。

質素な生活が続く。

徐々に交友関係が広がり千利休を知る。

そうして狩野派の強い抵抗を受けながらも秀吉の鶴松の菩提寺(現在は智積院)の障壁画を引き受けるまでになる。


だが利休は既に切腹してこの世にいない。

未来の長谷川派は才能ある息子の久蔵に託そうとした。

しかしその久蔵も20代で世を去る。

等伯は絶望する。

そして絶望の果てに自分が故郷を離れてまで夢見たことを思い出す。


等伯は筆を走らせる。





水墨画の頂点とも言われる、

国宝「松林図屏風」である。



息子久蔵の桜図。

国宝で智積院にある。



等伯の楓図も国宝で桜図と向かい合う。



筆の運びの素早さが伺える。

荒々しく見える筆致。

大胆にも見える。


こちらは東京国立博物館所蔵。

正月のわずかな期間は展示される。

写真可。

(智積院は🆖)



入館前の空。

終演後は真っ暗だった。

カーテンコールにも仲代達矢さんは顔を見せない。

後進に譲るのか。


演劇としては俳優の技量が足りない。

脚本も盛り上がりに欠ける。

やはり仲代達矢さんあってこそなのかもしれないな。

しかしもうお歳ではある。

黒澤明の「用心棒」にはもう出てたし、

90を超えたはず。

十分に活躍はされてきた方だし、

後進を何人も育ててもきた。

だけど…


少し寂しい気持ちでバスに乗り込む。


【追記】

今日からしばらくスマホが見えなくなるかもしれません。

また帰るまでお待ちくださいな。😅