京都駅で乗り換えて。
近鉄伊勢田駅から徒歩13分。
こちらは本館ではないよ。
飯場を移築したもの。
簡易宿泊所みたいな。
労働者はそこを住まいとさせられた。
正面に見える新しい建築がウトロ平和祈念館。
でも先に飯場に入ろう。
壁や床はボロボロ。おそらく面影を残す為。
屋根は粗末なままだと崩壊してしまうので、
補強工事されている。
壁に掲示がある。
書いてない点はボクがあらかじめ調べた情報で補おう。
この地に京都飛行場建設が企画される。
高給で立派な宿舎もあると在日朝鮮人に募集をかけた。
戦時中、彼らは差別と貧困の中にいたので多くの人数が集まった。
「立派な宿舎」は廃材で建てられ、
屋根は杉皮を載せただけのもの。
そして基本6畳一間と3畳の土間だけだった。
そんな宿舎が密集して建てられた。
(見れば自分が住みたいかどうかわかります)
雨漏りや隙間風に悩まされた。
(隣りの喧嘩が聞こえてすぐ止められる利点有り)
3畳の土間部分。
ふつうの台所かと思ったら。
2021年、ウトロ地区に青年が放火した。
「在日が不法占拠している」と。
流し台は燃え残ったものをそのまま設置した。
様々な労苦の写真が展示されているが、
表情がわかるのは避けよう。
沖縄で戦時中使われたガマに入った時を思い出した。
体験しなければ感じられない感覚がある。
粗末な壁に貼られている。
平和祈念館開館にあわせて移築。
1980年代後半まで住居として使われたことに驚く。
上水道も下水道も整備されなかったので、
住民は井戸を頼った。
これはなんだろう?
韓国セウォル号事件で生存した学生たちが描いたものらしい。
メッセージは。
「いつもウトロと共に」
開館時刻前に着いたので待っていると、
バスに乗ったスーツ姿の団体が現れた。
入ってゆくので一緒に入館。
副館長が団体に説明してくれる。
「一緒にどうぞ」
そう係の方に言われたのでウトロの歴史のお話を聞く。
(座ってる場所が来賓席だと気づいて慌てて立とうとしたら、お隣りのお姐さんに「そのままで」と笑顔で言われた。
どうも館長さんらしい)
お話を聞いて展示会場を観て歩く。
ウトロ地区の歴史や民族文化資料の展示。
ウトロ農楽団がイベントで奏でる様子も)
韓国の学生たちとの交流などがある。
あっ焼肉パーティが旨そうな!
日本人支援者たちと笑顔で頬張ってます。
(動画など工夫されてます)
ゆっくり観てると団体はいなくなっていた。
あれはなんの団体だったんだろう?
写真は🆖
外壁の展示はOKだった。
「ウトロ地区放火事件」
2021年8月30日午後4時ごろ。
大きな炎が上がる。
整備されてない地区だったので消防車が入らない。
ガスボンベへの引火が心配された。
廃屋からだったので「放火では」との考えがよぎる。
犯人は22歳男性。
韓国に敵対感情を持っていた。
平和祈念館展示予定の立て看板が集められた建物に火をつけた。
建設阻止と「在日韓国朝鮮人問題」に警鐘を鳴らしたかったと述べる。
ウトロの住民らは、
「私らに話しを聞きに来てくれればよかったのに」と口々に語ったそう。
上の写真はインターネットへの書き込み。
“燃やされても当然だと思います”
などが書かれていて中傷が連鎖している。
思慮の浅さに愕然としてしまう。
青年の裁判の言葉を読んでも反省はない。
(話しても無駄なタイプだとボクは思ってしまう)
京都地裁で懲役4年の判決。
判決に「差別」の文言はなかった。
さてウトロの歴史を続けると。
敗戦で彼らの仕事はなくなり途方に暮れる。
行くあてもないまま助け合って暮らす。
戦中の国策会社から土地を買い受けたのが日産車体。
住民に退去を迫るがどこへ行けと言うのか?
下水道の整備を自治体も考えるが土地利用を考える会社は追い出しの邪魔と許可しない。
劣悪な環境が長く続いた。
そして西日本殖産に転売する。
ブルドーザーや重機を持ち込んでの威圧。
裁判になり住民たちは敗訴する。
(この判決は不当だと思う)
住民らは自治体や政府に陳情するが対応すらしてくれない。
日本人支援者たちは焼肉パーティなどで、
「地上げ反対!ウトロを守る会」を発足する。
国外にも訴えを広げ2001年、国連の委員会から懸念と差別是正勧告を引き出す。
市民募金運動が始まり韓国政府も動く。
ウトロの土地の一部を買い取る合意書が2007年締結される。
買い取った地に新しい住宅団地が建つ。
次の棟も建築中で住民は移住予定。
そんな中での放火事件だった。
集めていた立て看板。展示予定だった。
その家に放火された。
もちろん意図的に。
7棟が被害に遭った。
写真を見てもどうしようもない状態。
平日の子どもらは外に遊びに出ていて被害に遭わなかったのは幸いだった。
(ワンちゃんはなくなったみたいだけど)
屋上に太陽光発電が設置されている。
環境やエネルギー問題が差別を生むという考えから。
その一部。
道路の向こう側は自衛隊基地。
かなりの面積です。
隣りが中学校だが不自然な段差が見えるだろうか。
手前から池を埋め立てる土砂として掘り進めた。
そうして滑走路をつくる計画だった。
だから周辺で最も低地。
水が流れてくる。
土地はぬかるむ。
それでも助け合って生きてきた。
中学生の歓声が聞こえてくる。
隣りの中学校との交流も書かれていたが、
わざわざ書くということはふつうに関わってないということではないか。
周辺地域との円滑な交流には至ってないのかもしれない。
(2枚目の写真にバスケのゴールポストが見えます。近所の子どもらが遊んでいくそう)
こちら側はウトロ地区ではない。
狭く細長い地区なのだ。
別の階の壁。
盛大な賑わいがあり、
活気に溢れている。
1階のウトロカフェで新しく豆をひいた珈琲をいただきながら資料を読んでいると。
(200円。美味しい)
館長さんが説明してくれた。
ウトロの地図を見せてくれ、
少し歴史を話してくれた。
火災に遭った辺りを教えてもらう。
お礼を述べて祈念館を出た。
徒歩数分。
家が徐々に貧しくなる気配があり。
今は空き地になってしまっている。
ここに何棟かの家があった。
写真に写ってない辺りにバラックのような家が並ぶ。
新しく建つ住宅団地にいずれ入居するそう。
団地になっても地域の人びとの親しい交流が続きますように。
駅への帰り道。
春になれば美しく咲く桜の樹だろうか。
吹奏楽部だろうか。
綺麗な楽器の音色が流れている。