部屋の外まで鮮烈な「赤」が迸るような勢い。
(前日のラーメンの失敗を取り返す)
金沢から道の駅すずなり到着。
9時前で未だ開いてません。寝てます。
後ろに出てみた。
むかしは鉄道駅だったのです。
(廃線にしなければ良かったのに)
アート作品なのか単なる飾りなのか。
レールは一本だけ残してあります。
(クルマで行けば少しで、苔むした車両が佇んでるのが見えます)
かつての面影。
途中に恋路駅もあって切符は人気でした。
恋路行き切符だから。
最涯(さいはて)と敢えて言う。
かつて日本海貿易が盛んだった頃は、
こちらが表玄関だった自負がある。
道の駅が開いたので。
珠洲焼きなども販売してます。
(作家さんの作品の方が魅力的です。
ゴニョゴニョ)
他お土産物やお弁当など多数。
本日初日。
前夜祭では田中泯さんが場踊りを行ったそうな。
これからも各種イベントがあるみたい。
バスで巡るツアーだと、
午前に2通り。
午後に2通り。
だから二日間あればほぼ全部鑑賞できる。
でもそれだと珠洲で宿を取らねばならない。
したがって「厳選した(という)一日満喫コース」を選択した。
バスに8名が乗り込み男性ガイド付き。
(後で知る事になるけど博識な40代)
出発。
すぐ近く。
元衣料店に。
え〜と💦
どういうテーマかなあ。
ハンモックに寝転ぶ勇気ある女性もいた。
80kgまでらしい。
セーフ!
各自が自由に並べていいみたい。
次の場所へ。
健脚なガイドさん。
元小学校かな?
3人の作品。
理科室だったのかな。
<あかりのありか>
そう聞いてもなあ。
倉庫なのか作品なのか。
<祈りのかたち>
元図書室か。
音蔵庫。
そんなのあったっけ?
珠洲の地元の風土と人と関わって作品が出来上がる、と。
読書感想光…
図工室は帰り際に電気を付けようとされてた。
(見損ねたか!)
またさらにバスは進む。
ボトルシップ。
舟に乗って?
近づくとこう。
こりゃ海に浮かばねえ!
地元の方々が各所で案内され、運営してる。
ここは以前は一面が田んぼだったとお姐さんが言ってた。
見晴台は出来立てのホヤホヤ。
まあ10年は保つでしょう。
そして。
山の中の古民家へ。
こうした大きな家は能登の各地にある。
大家族で暮らしてたけど今はほとんど1人か2人。
黒い屋根瓦も北陸の湿った雪に備えて、
釉薬を塗って水の侵入を防いだ。
そうガイドさんは語る。
瓦工場も能登では消えたと言う。
未来を見た作品かな。
作品?
作品…
作品(たぶん)
なんなんでしょうね。
アートか階段か。
手前の扇風機によって風が吹いて、
向こうの子ども向け玩具が音立てて動きます。
まあ次だ次!
珠洲の塩田辺りに着く。
朝ドラで土屋太鳳さんが出ていた辺り。
1200年前から揚げ浜式製塩は珠洲で続いていた。
しかし塩の専売制が敷かれ壊滅する。
ひとりだけ製造し続けた。
彼は徴兵で部隊に合流する。
部隊長に「お前は塩造りをせよ!」
そう言われ戦友たちと別れた。
やがて部隊全員の戦死を知る。
彼は塩造りが天命だと思う。
塩造りが当局から咎められても海藻を入れた加工品だと言い張った。
貧窮しても塩造りはやめない。
(密かに支援者もいた)
バカな専売制も終わり、揚げ浜式を継承する人も現れるようになる。
そうして守られてきたのです。
スカイツリーにおにぎり博物館が有ります。
そうガイドさん。
館長は塩結びは能登の揚げ浜式が一番だと言ってます。
(だそうです)
たばこと塩の博物館に説明があるだろうか。
元保育所に入ります。
塩田さんは「塩田」に名前の一致を見出し、
ここにしますと言ったそう。
(読み方は違うのだけど)
この作品には地元のボランティアも多数関わった。
塩田さんは海外からの通信でアドバイスしたそうな。
どれだけの数を必要としたのだろう。
制作に携わった方の説明が長引く。
予想したボクは皆と少し離れたポジショニング。
人知れず離れる。
の展示を観に行く。
覗き窓から動画が見える。
もうひとつの動画。
塩田さんの説明を読めば先ほどのボクの話が上書きされます。角花さんの苦労が偲ばれます。
<時を運ぶ舟>
写真がありました。
塩造りはとても重労働。
暑く晴れた日にしか作業が出来ない。
徹夜して近くの森からの薪を焚べる。
塩の様子を見て薪の種類や作業を変える。
10時間から12時間。
朝にはようやく塩の幼子が現れる。
皆の所に戻るとお話が終わるところだった。
「ありがとうございました」
と一緒に言う。
保育所から降りる坂道。
かなりの勾配。
鎌倉で江ノ電を見たような坂道。
知床でオシンコシンの滝から降りるような坂道。
函館の坂道や呉の坂道も思い出す。