資料館から歩くのは遠過ぎる公園にある。
高松歴史公園。
加賀藩の頃は交通の要所だった。
その由来などが記されてます。
その近く。
気持ちの良い公園。
(9月後半といえ暑いけど)
句碑があった。
その説明文。
太陽反射で読みにくいね。
【枯れ芝よ団結をして春を待つ】
昭和47年に友人や同級生らによって建立された。
裏面に記録されてます。
そこからお寺にあるという句碑を目指す。
浄専寺。
ちょいと入り口がややこしい。
入ってすぐ左手に。
死後80年後、盛岡の寺から分骨された。
やっと高松に帰れた。
その隣りに句碑もある。
映画を監督した神山征次郎氏が書いた文字らしい。
【胎内の動き知るころ骨がつき】
お腹の赤ん坊の動きを感じる頃に戦死した夫の遺骨を受け取る。
ここからは鶴彬の生家は近い。
大通りに面している。
生家跡の碑があった。
だが句碑はご自宅の前庭にある。
そのままズカズカ入る訳にはいかない。
人が居る気配がするので申し訳ないと思いつつ玄関ベルを鳴らす。
しばらくしてご主人らしき方が現れた。
「句碑を撮らせていただけますか?」
快諾してくれた。
前庭に入って。
【可憐なる母は私を生みました】
生家跡の家の壁に記録が掲げられている。
立ち去ろうとした時、ご主人が現れた。
記念のハンカチを渡してくれる。
「お金はおいくらに?」
手を振って笑って要らないと。
貰ったハンカチ。
【波おこる一点四季の海の音】
後で会報を読むと鶴彬の聞き取りシリーズの中にご主人が映っていた。
鶴彬の従兄弟の子にあたるそう。
もちろん直接の面識はない。
ただ祖母から聞いた話などが載っていた。
立て直す前の家には鶴彬の落書きもあったそうな。
わざわざハンカチありがとうございました。
それにしてもやはり。
好きに句を詠んだだけでなぜ殺されねばならないのか。
表現の自由が奪われる時が危機の時代の到来となるのだろう。
それと学問の自由は繋がる。
学術会議に介入しようとする政権の姿勢は、
現在の危うさを告げている。
【手と足をもいだ丸太にしてかへし】
この川柳を知った時、直ぐに思い出した映画がある。
「ジョニーは戦場へ行った」
監督のダルトン・トランボも赤狩りでハリウッドから追放された。
反戦を訴え平和を希求する表現者は東西を問わず権力側にとって都合が悪い存在だと告げている。