これ飾るのも楽しいかもしんない。



タカノフルーツパーラーでのんびりするつもりだったが、藤子・F・不二雄ミュージアムに浸りすぎて時間がない。


目を覚まそうとするもタカシマヤで良い珈琲屋さんが見当たらず、

抹茶をいただく。タピオカ入り。


ふう😮‍💨



いつもこの通路で気持ちが高まる。



ボクには珍しく5分前入場。

ギリギリです。



こんな方たちが演じてます。



御神籤が結んである。


舞台の中で御神籤が重要なテーマとなっていた。

そして窓口で御神籤が引ける。

皆さん楽しんでますね。

その結果でしょう。

(と、後で思った)



幕が開く。

元気の良い5人の女性たち。

みんなお腹が大きい。


妊婦さんかと思いきや。

妊婦のフリをして闇米を手に入れたのだ。


つまり時代は戦後ながら食糧統制下。

GHQが日本を占領していた頃。


場所は神田にある愛嬌稲荷神社。

本来は庶民が通りすがりに挨拶する神社だったが、戦中は赤紙が来た人を送り出し、

空襲で境内に山と積まれた遺体を燃やす場所になっていた。


それでも占領下でも助け合って笑い合っていた女性たち。

どの人も困難を抱えているのに。


神主の息子の健太郎は戦死したものと思われていたが、ふいに現れる。

南の島で記憶を失っていたのだと。


彼は野球の投手としてプロにも通用する腕を持っていた。川上哲治の名前も出る。


高校時代の野球仲間たち。

捕手で精神科医の一人を除いて、いずれも戦死など無惨な死に方をしてこの世にいない。


生き残った2人は未来を語り合う。

だがGHQの法務局員が現れる。


健太郎は島でも野球をした。

彼の速球を島民の捕手が受けきれず球が直撃した。

それが戦争犯罪に当たるという。

島に戻り裁判を受けろと。

それはC級戦犯となり処刑を意味する。


(こうした事はフィクションではない。

実際にそうなった方は一千人近い。

だが人体実験をした731部隊は罪に問われず、

A級戦犯被疑者の岸信介は不起訴となった)



ショックを受けた健太郎は再び記憶を失う。

精神科医の友人は懸命に記憶を呼び覚まそうとするが、記憶が蘇れば処刑の運命が待つ。

どうすればいいのか。



舞台は展開してゆく。


ひとりの役者が舞台袖でずっとギターを奏でる。

戦争後遺症者の役だがギターの調べが芝居の背中を押す。

美しい調べだと思う。



健太郎は上のイラストで白抜きになっている。


彼は育ての親の父に言う。

戦中に勇ましく厳しく、神社から兵士として若者を送り出した父に言う。

(健太郎は境内に捨てられた子であり、

神社は神社本庁の下で政治利用された)


「忘れちゃダメだ。

忘れたふりはなおいけない。

過去を忘れ去った人間の未来は暗い。

なぜなら同じ過ちを繰り返してしまうから」


これは戯曲が書かれた時代の日本の危うさを視座に置いているだろう。

だがそれは現在の日本の危うさをより表すのではないか?



3時間の舞台が終わり拍手が鳴り止まない。

振り返れば満席のみんなが立って拍手している。

(こまつ座の公演で満席を見たのは初めてだなあ)

と思いながらボクももちろん立って拍手する。


カーテンコールが何度も続いた。




夜も遅いので観客はエレベーターでしか運ばれない。

少しずつ運ばれてゆく。

(良い舞台だったな)

そう思いながらエレベーターを待つ。


ホテルはサンシャイン60にある。

池袋駅から歩いても遠い。

むわっとした熱気の中を歩く。


不思議な光景があった。

通りのあちこちに若い女の子がボードを持って立っている。

誰に声をかけるでもなく笑顔でもなく。

(初めAIロボットかと)


あれはなんだったんだろか?

(お店の呼び込み?

声かけを禁じられて?)


わからないのだった。


(いずれにせよ彼女たちにも笑顔の未来があるといいな)



やっと着いた。

ともかく休もう。



明日の予約時間は早い。