縫ひしものに

針の残りてをらぬこと

確かむるごと

メール見返す



「舞い上がれ」という連続ドラマがあった。

その脚本家で歌人が、

登場人物の架空の詩歌集を編んだという。



(連続ドラマの中では。


君がゆく

新たな道を照らすよう

千億の星に 

頼んでおいた


そんな本歌取りが歌われた)



コラムではその本の中の一首を捉えている。


メールの呟きは「針みたいな鋭いもの」が

残ってしまうと。


だから縫い上げた布を指で探るように、

自分の呟きに針がないかを確かめると。


その感覚はTwitterなどで痛感する。

そしてそれはアメブロでも同じだろう。


ボクの書いた言葉が不用意に誰かを傷つけてはいないか。


そのことに自覚的にならなければと。


全く誰も傷つけはしないとは思わない。

何かを受け止めることはある種の“傷”かもしれないから。


そうではなく。

不用意に無自覚に誰かを傷つけないように心がけたいのです。


SNSの暴力性に自覚的でいたいと思う。



そんなことを思う七夕の夕べ。


天声人語に万葉集の引用があった。


この夕(ゆうべ)

降り来る雨は彦星の

はや漕ぐ船の櫂の散りかも



銀河を漕ぎわたる彦星の船。

飛び散る飛沫に雨を例えた。


北陸は今夜は雨である。