いつものこまつ座へ行こうと思ったのだが。


両国の蕎麦屋さんから新宿駅に降り立つと新京王線側。

ここからは出た事がない。

地階に行ったり2階に行ったり。

迷いに迷う。💦


(ここはどこやねん❓)


20分ほど経過。

開演時間が迫る。


食品販売のお姉さんに高島屋への道を尋ねる。

幸い親切な方。

脱出ルートを丁寧に教えてくれた。


脱出してからも大変だったけど。

ともかく高島屋さんのエレベーターを駆け上がる。

(間違えた。

エスカレーターですね。

エレベーターでは駆け上がる意味はない)



見慣れた連絡通路に出たのは開演五分前。



息を切らせて座席に座る。


ふう😮‍💨



舞台は浅草オデオン座レコード店。

時代は昭和15年秋。


11月3日。明治節の夜。




継母と父と娘。

長男は部隊から脱走して“非国民家族”と罵られる。


だんだんとレコードでさえかけにくくなる、

家族の中でだけジャズをこっそりと楽しむ。


長男は舞台に時折り現れる。

お話の転換役を務める。



レコード店も統制され減らされる対象に。

それを避けようと長女は傷痍軍人との結婚を選ぶ。

一転して“愛国の家族”となり廃業を免れる。


音楽劇でもある。

間借りしている2人がいて。

1人は広告文作成者を。

(コピーライターかな?)

1人は音楽を好みピアノを奏でる。


そのピアノで舞台のみんなが歌い、踊る。



たまたま手に入った一個の玉子。

どうやって分配するかアイディアを出し合う。



傷痍軍人の夫は軍国主義者だったが、

のほほんとした一家の中で本来の素直さを取り戻し始める。



背景の時代を現すポスターはどこから持ってきだんでしょう?



ピアノを奏でる間借り人は宮沢賢治のようでもある。

星座を眺めて、

悠久の長い時の中で、

広大な宇宙の中で、

ひとつの命があることの奇跡を語る。


その言葉で悲観的になりかけた皆は救われる。



奇跡のような配給があり。

牛肉が手に入る。

侃侃諤諤の論議が巻き起こる。


それはとても幸せなひととき。


だがそれは昭和16年12月8日の前夜。


太平洋戦争の前日だった。


ハッピーなメロディは突然途切れる。



防毒マスクを付けたみんな。


これからの悲劇を暗示して舞台は幕を閉じる。



凄く省略して書いたけど見事な舞台。

スタンディングオベーションが千秋楽であったと聞いたけど全く驚かない。


それほど素晴らしい舞台でした。


「神谷町さくらホテル」と並ぶレベルかと。




パンフレットを読むと。

どの役者さんも現在の日本の危うさを語る。


“演劇は戦争を止められない。だけど。

躊躇わせることはできるかもしれない”


そんな言葉を語る方もいるほど。


だからこそ!

井上ひさしさんの舞台は大切なのだ。

彼が書くお芝居はすべて反戦の強いメッセージが込められているのだから。


私たちは日本が戦争に突入することを止められるのだろうか?