このお話は小説の方から知った。

小学生のころ。


田舎に届くローカル新聞はほとんど読むところがなかったけれど、ある日に小説の連載が始まった。

どうやら病院に運ばれた主人公の意識から始まる。

毎日引き込まれていって読んだ。


目が見えない。

耳も聞こえない。

匂いもない。


そうやって自分の感覚器の存在を確かめてゆく。

そうして絶望する。


第一次大戦に従軍した。

大砲の音が聞こえ砲弾の跡の大穴に逃げ込む。

“一度落ちた跡には砲弾は落ちない”

そんな言葉を信じて。


だが砲弾は直撃して彼の肉体を引き裂いた。


ベッドの上で。

彼は感覚器が何も残ってないことに気づく。

四肢もない。

脳も損傷している。

医師たちはもう意識もないと思っている。

ただの肉塊だと。



黒澤明作品や多くの日本映画に関わった橋本忍さんもこんな感想を述べていたのか。




断片的な記憶の中で恋人が現れる。

彼女との逢瀬。


でももう彼女を見ることはできない。

彼女を抱きしめることもできない。



原題は、

「Johnny Got His Gun」

志願兵募集の宣伝文句は、

「Johnny Get Your Gun」


つまりジョーが銃を取った結果なのだ。




だが新しい看護師が現れる。

クリスマスの日に彼の胸に指で文字を書く。


ジョーは理解する。

唯一動かせる首と頭で反応する。


だが伝わらない。




赤狩りの波に飲まれたダルトン・トランボ。

ローマの休日の脚本も書いた。

それだけ実績のある彼でも。


ハリウッド・レッド・テンの一人として映画界から追放される。


ダルトンは辛酸を舐める。

その彼の復帰後にどうしても描きたかった映画なのだ。



軍からの医師団が訪問する。

そのひとりが彼の頭の動きの意味に気づく。



ジョーはモールス信号を打っていたのだ。



ただの肉塊と思っていた存在に意識があると知って驚愕する軍医師団。


「なにか望みはないか」をジョーの額にモールス信号で伝える。

彼は自分を見せ物にしてお金を稼ぐべきだと言う。

「それはできない」そう伝えると。


「殺してくれ❗️」

そうジョーはひたすら頭を打ち続けるのだった。



優しい看護師。

それでも彼を救えない。



軍医師団だからこそモールス信号だと気づいた。



ひたすら哀しい映画である。

この指のマークは志願兵募集のポスターに似ている。


小説は第二次大戦時に事実上の発禁となる。

戦後に復刊されるものの朝鮮戦争時に再び発禁となっている。


だから1971年に公開された映画は挫折から何度でも立ち上がるダルトン自身だろう。


「ランボー怒りのアフガン」では主人公は敵を薙ぎ倒すが自分は傷ひとつ負わない。


それはあり得ない絵空事だ。


事実は「ジョニーは戦場に行った」だろう。

兵士は傷つき命を落とす。



日本政府は軍備を増強すると言う。

敵基地攻撃能力を持つと言う。


それは必ずどこかの国の的になるだけだ。

或いはアメリカ軍の巻き添えになる。


一年で6兆円もの増額。

そのお金で国民全員の医療費が無償になる。

軍備よりも教育や医療や福祉が大事なのではないか。

“異次元の少子化対策”にまわすお金はどうする?


そして日本国憲法に違反する。

政府が憲法を守らない現実に私たちは立たされている。


憲法12条を引いて文を終えよう。


「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」


政治に無関心なままなら国家が国民を犠牲にすることを私たちは学んだはずだ。


私たちは憲法を守れるだろうか❓