美しい大階段。
結婚式での撮影スポットとしてよく使われる。
戦前から建つクラシックホテル。
夜にタワーの方のフロントに受付して。
多彩な楽しい飾り付けを見ながら本館に。
いったん部屋に荷物を置いて。
横浜港が見えます。
自販機はない。一階のバーへ。
カクテルを🍸と思ったがわずかにタイムアウト。
バーテンダーの装いの美女に掛け合うものの丁寧に断られる。
満席でもあるしね。
(だが満席になる程魅力があるならいつか再びチャレンジしなければ)
翌朝の窓から。
明るい風景で見ても和めます。
ザ・カフェは10時開店。
30分前に並ぶ。
待ちながら。
このオブジェの意味はわからないまま。
10時には行列ができていた。
確実に座るなら9時40分までに来店が良いかと。
座った席から山下公園が見える。
アラカルトを頼むつもりだったが接客嬢の驚くべき提案❗️
「ランチ開始の11時迄飲み物で待てますか?」
1時間粘るのは迷惑でないのかと聞くと、
「そんな方は多いです」と笑顔で答える。
甘えることにする。
新聞も読めるし。
そして重要な要素があります。
珈琲おかわり自由なのだ。
3杯ほどいただいて。(4杯だったかもしれん)
11時近く。
スープ。
なんだか沁みるように美味しい。
ハンバーグセットを頼んでいた。
パンもおかわりして。
ハンバーグ。
肉質が良いのだろう。
一流のハンバーグだ。
ソースも見事。
パンで綺麗に拭っていただく。
“伝説の3品”は以前に試している。
どれも間違いがなかった。
ドリア
ナポリタン
プリンアラモード
この3品はニューグランドから始まった。
今回はプリンアラモードを楽しむ♪
(本当は進化した豪華版を頼むつもりだったが、
それは11月まででした。そこは残念)
でも素晴らしいのに変わりはない。
ご馳走様でした♪
ホテル館内を見歩く。
初代総料理長サリー・ワイル。
昭和2年にパリから招聘したスイス生まれの料理人。
彼が名声を揺るぎないものとした。
彼を師として多くの名料理人が育つ。
厚木飛行場に降り立ったマッカーサー。
どこへ?と聞かれ、
「ニューグランドへ」と答えた。
彼は新婚旅行でこのホテルに泊まっているのだ。
彼が滞在した315号室はマッカーサーズスイートと呼ばれて今もある。
(泊まりたくないな)
もちろん他にも著名人が泊まっている。
1931年から10年間、大佛次郎がこのホテルの318号室を仕事場にした。
(お金持ちだなあ)
「港が真正面に見えて、展望がよくきくし、実に住み心地の良い場所だった。(接客が良くて)夕方まで仕事をして、薄暗くなると階下のバーに降りて行く。
それから南京町周辺を歩き回った。
港だけが持つ国際的な町の活気と繁盛ぶり、それでいてどこか落ち着いていて静けさを持った小ぎれいな町が当時のハマ(横浜)だった」
双眼鏡で眺めている方は、
昭和の皇太子。
平成の天皇になるのか?
この方がもう少し大人になってからボクのすぐ横を通り過ぎていく未来が待つ。
東京文化会館。コンサート後。
社員の皆さんが襟を正していたのを不思議に思いながら腰掛けて靴紐を結んでたら、
目の前を通り抜けて行った。
(警備が甘いぞ)と思ったものである。
ベイブルースも来ている。
水をがぶ飲みしたとか。
のちに巨人軍になる日本チームをコテンパンにしたチームメイト。
沢村栄治だけがルースの1点だけに抑えた試合がある。
ここに書いてあった。
「日本の生水は飲めない」聞いていたそうな。
中庭。
右側に撮影に臨む幸せな2人がいます。
(この時だけは)
飾り付けるのはたいへんだろうなあ。
さてと。
目の前の山下公園を歩こう。