今日は雨、午前中に和歌山市内の行きつけの病院に通院、帰ってから先日ヤクオフから届いた戦前の非常訓練の記念プレートとにらめっこ。
真鍮製のプレートでずっしりと重く郵便はがきぐらいの大きさです。昭和7年3月2日、関西のアマチュア無線家達が防空無線通信演習を行ったときの記念碑です。当時はアマチュア無線局ではなく法律上は実験局でした。現在ではアマチュア無線家が災害等の非常時に公共通信手段が途絶している条件下で免許の範囲を超えて通信を行うことが電波法で定められています。また、阪神大震災をはじめ大規模災害が頻発する近年はアマチュア無線家による非常通信の重要性が認識され、全国各地で非常通信訓練が定期的に実施されています。国家の非常時にアマチュア無線家にできること、戦前は防空無線通信だったようです。
プレートの贈り主は大阪朝日新聞社なので新聞社がアマチュア無家たちに呼び掛けて実施されたようですが、単に協賛者として資金面のバックアップをしたにすぎないかもしれません。いろいろ調べましたが大阪朝日新聞が実施したという記録がみつかりません。3月3日頃のバックナンバーが公開されていればいいのですが、朝日新聞のアーカイブ検索は有料のため今回は諦めました。

これは、ついでにポチった絵はがきです。昭和8年7月26日に実施された近畿防空演習が京都市で行われたのを記念するものです。防塵マスクをしているのが印象的です。こちら官民軍一体で実施されたようです。昭和7年の防空無線通信演習はアマチュア無線家だけで実施されたのでしょうか。いろいろ調べてみると、、

週刊BEACOMに掲載されたJA5MG稲毛章氏さんの回顧録に記録がありました。



これを読むと昭和7年の防空無線通信演習は日本初のアマチュア無線家による非常通信訓練のようです。和歌山市の宮井宗一郎さんも活躍されています。

週刊BEACOMに掲載されたJA1AA庄野久男さんの回顧録に国防演習参加一覧が掲載されています。JARLの参加となってますが一覧表の出展は不明です。これによると、昭和7年3月の演習はJARL独自の行事、その後は防空演習に通信隊として各地区、各種演習に参加していたようです。


昭和12年以降、無線隊の名称を国防無線隊に統一しています。この年に防空法が制定されました。この法律は防空演習の義務化を目的として制定されたものですが、隊名はそれを意識して変更されたのでしょうか。


昭和7年3月前後の世情です。上海事変、満州国建国、、、なんかですねえ、この当時の日本は今のロシアの状況とよく似ていませんか。


朝日新聞記者、小林幸雄さんの「日本アマチュア無線史」取寄せ中です。何か新しいことがわかれば続編を投稿します。