札幌在住のネイリストの日々

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"入院時の延命治療についての寸考



大腸がんで病院で手術、入院しました。

若い時分は急性の腹痛と言われる、つまり盲腸炎、虫垂炎で5日ばかり入院したことがあったが、それ以外は60過ぎても病院へ入院したとかお世話になったと言うことはございませんでした。

先般、市の成人病定期健診で検便の結果、陽性という判断が下され、その後再び精密検査の結果、大腸がんと診断されたのです。 普段、余り意識しなかっただけに正直ショックでした。

再度にわたる精密確認検査でも確かめられたので、結局、開腹手術してガン患部を摘出除去することになったのです。 結果は開腹手術してガンはを取り除き、無事せいこうしたと担当医師にも言われ、ホットしているところでした。 
その後、転移の可否も観てもらいましたが、その点は異常性は無いということでした。

開腹患部が正常に戻るまでの一寸長い間の入院となりました。
定員が二人の相部屋であり、相手の方に取敢えずの挨拶を交わそうとしたら、脳卒中で倒れて意識が不明な患者さんらしく、付き添いの家族の方に宜しく伝えてはおきました。

聞くところ、隣の患者さんは既に一週間は意識不明で、現在、回復治療を行なっているが、今のところ其れらしい兆しは見えてこないらしい。 
所謂、延命治療を施しているらしいのです。



ところで、延命治療とは・・?、
人間勿論、健康第一で健康に過ごしたまま、あの世にポックリと逝くというのは理想的な
死に方とも言われますね。

それでも世の中は、そう時分の思い通りには行かないのも明らかで、自分が希望するのとは裏腹に延命治療というのがありますね。 
自分の意思が外に向かって表示できなくなった場合は、その意思とは無関係に延命治療を施されてしまいます。

延命治療が行われた場合、患者はその間余計に苦しむ場合もあり、何より何時までかかるか判らない時間との戦いで、家族はせっせと介抱治療に費やし、ある種の苦労を強いられます。
患者本人に意識がない状態でもただ延命されている状況を見て、家族や友人などが苦痛を感じることもあるだろうが、更に、このような治療であっても、当然ながら医療費は必要であるため、延命すればするほど医療費がかさんでくるという問題もおこります。

ただ、延命治療については患者本人が延命を希望しなかった場合、それを文書として示すことで医療機関に対し延命治療の中止を要求することもできるらしいが、今度は尊厳死という、ややこしい問題をも生じかねないのですね。



。"
"指の第二関節の下に生える毛、てちょっと気になります。
指輪をする指は、やはり擦れるのか毛が無くなっていますが、それでも全部無く、残っている毛があるので嫌になります。
若い頃は剃ったりもしましたが、余計濃くなるのが怖くてやめました。

ただ、私は色が白い方なので、指の毛も人より目立つんです。
鼻の下の毛も目立つので、高校の保健の先生から「色白だから目立つようだけど、剃ったら?」と言われたほどです。
(母は余計なことを言う先生だとムッとしていましたが・・・)
当時は体育やスポーツ部の活動があるので、脇はほとんどの女子が剃っていましたが、顔を剃ることはあまりなかったのです。
母は剃ることによって余計濃くなることを心配したのでしょう。

指の毛についても、友達と比べると目立つので嫌でした。
指輪を買いに行ってもなんとなく店員さんの目が気になります。
指の毛について何か言われたことは、勿論ありませんが、自分では気にしていました。

そんな私が35歳の時にアトピーを発症しました。
手の甲や指にも湿疹が出ました。
なるべく掻かないようにしますが、無意識に、又寝ている間に掻いてしまいます。

ある日、気付いたら、手の甲が湿疹が出て掻いた部分だけ毛が濃くなっていたのです。
掻いた部分だけなので、手の甲の一部分だけ他よりぼわっと毛が長く生えているのです。

指は逆で、掻いた指は掻いたことによって毛が擦れたり抜けたりして、指に依ってバラバラな状態でした。
他人が見たら気付かないのかもしれませんが、本人にしてみれば気になります。
気になったので、カミソリ負けしないようにはさみでそっと指は毛がある部分を切りました。
また、手の甲はもっと気になったので、剃りました。
"
"
私がまだOLだった20代前半の頃。

長引く風邪をこじらせて重症化してしまい
1週間ほど入院をしたことがありました。

内科的なものだったために、
三日間ぐらいは
食べ物・飲み物一切取らずで点滴中心の治療だったのです。

食事の時間になると
隣のベッドから漂ってくる配膳食の匂い。

食べたくても食べられない苦しさは
耐え難いものがありました。

思い出しても笑えるのが
その時、病院に持って行ってた手帳に
ギッシリと食べ物の名前を書き連ねていたのです。

ハンバーグ・お寿司・焼き鳥・ケーキ・・・などと。

それでも4日目ぐらいには少しずつ回復し、
‘おかゆ’も出てくるようになりました。

まずは塩味も何も付けずに食べた一口は

「この世にこんな美味しいものがあったのか」

というぐらいに感動したのを覚えています。

普段は何も考えずに納豆やふりかけを乗せて
食べていた「白いごはん」のありがたさを
改めて感じたのです。

そのうち、食事が取れるようになって落ち着いてくると
友人や職場の人たちもお見舞いに来るようになりました。

当時、私には
同じ職場に内緒で付き合っている彼氏がいました。

携帯電話の無い時代。

連絡の手段はもっぱら公衆電話でした。

私は病院の売店から電話をして
お見舞いに来てもらう約束を取り付けたのです。

「明日、夕方4時頃行くから」と。

内緒の交際だったけど
平日のその時間なら知り合いも来ないだろうし・・

そう思って翌日待っていると

「オウ!どうだ!調子は」

ナント、職場の上司がお見舞いに来てくれたのです!

時刻はもうすぐ約束の4時。

ありがたいやらハラハラするやらで
上司が帰るまでは気が気じゃない時間を過ごしたのです。

結局、ハチ合わせにはなりませんでしたが
今考えても
テレビドラマのようなドキドキ感を味わった一幕でした。


入院生活で得たもの・・・

それは、「何もつけない本来のお米」と「スリル感」
この二つを味わったと言うことじゃないでしょうか。







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