Kさん撮影:蒸機現役時代 筑豊本線 8620/73.12/ 直方機関区 9600/72.12 | D51338の ほぼ蒸機ブログ “NO STEAM, NO LIFE!”

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物心がついた時から蒸気機関車が好き。
1970年代に撮った写真はプリントでわずかに残るのみ(泣)
今は関東近県の復活蒸機を撮影するのが楽しみ。
そんな写真を載せたいと思います。
D51338は故郷、飛騨高山にいたカマです。

Kさん撮影シリーズ、今回も蒸機現役時代で北九州の3回目です。 

代理投稿by D51338

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Kです。北九州筑豊地区の3回目、今回から筑豊本線方面に移ります。

 

現在の田川市(後藤寺、伊田)近辺に比べ筑豊本線の無煙化のペースは早く、1973(昭和48)年10月時点で、要の直方機関区は蒸気機関車配置ゼロとなってしまっていました。

とはいえ若松機関区のカマの運用が残っていたため、昭和48年末時点では86209600D51D6046, 61の2両が直方区から転属)の4形式が牽引する蒸機列車を本線上で見ることができました。

今回は香月線(中間駅から分岐する盲腸線でした。のち廃線)直通の旅客列車を牽くハチロクの撮影記録から始めます。

 

① 1973(昭和48)年1229日の朝、筑豊本線のどの駅かわかりません(中間?)が、香月線に直通する早朝の旅客列車の駅撮り写真です。

機関車は38634。テンダのナンバープレートは形式入りですね。

若松区の8620はここ香月線と、鹿児島本線の遠賀川駅から分岐していた室木線(のち廃線)で運用されていて、ハチロクが牽引する旅客列車としては全国でも最後まで残ったものでした。

② ちょうど逆向き牽引で駅から発車するところを、向かい側のホーム端から撮っていたようです。若松区の区名票の「若」の字の草かんむりが「十十」となっているのが、味がありますね。

③ 香月まで行って折り返してきた列車を、中間-折尾の複々線区間で撮影しました。昭和生まれの鋼製客車4両を大正生まれのハチロクが牽いていますが、こうして見ると車両限界の差か、ハチロクの方が一回りボディサイズが小さいのが良くわかります。

室木線と香月線のハチロクは1974(昭和49)年120日が最終運行だったようですので、引退まで1ケ月を切った時点での記録となりました。

 

ここからは1年前、1972(昭和47)年1229日に、直方駅/直方機関区で撮った写真を紹介します。

昭和48年末時点で直方機関区は無煙化されていましたが、僅か1年前には9600C11(入換用)、D51D60といった蒸機が広い構内で煙を上げ行き交っていました。

K少年は同じ1229日に2年続けて筑豊本線をウロウロしていたわけですが(笑)、見えた景色は1年間でずいぶん違ってしまっていたわけですね。

さらに言えばその1年後の昭和49年末には、後藤寺あたりも含めて筑豊地区から蒸気機関車の煙は姿を消していました。

 

直方のカマ、本日は9600形式に絞って紹介します。

 

④⑤ 直方駅構内で客車の入換をする29641(直方区)です。

デフ無し、シンプルな形状の化粧煙突で、大正生まれのキューロクの素朴な姿を良く残しています。直方機関区無煙化を機に後藤寺機関区に転じ、昭和4912月の無煙化まで活躍したカマの一両のようです。

 

⑥ 続いて69615、デフつきで、化粧煙突の頭部に輪っか?がついています。行橋機関区のカマですが、直方にも顔を出していたのですね。

セキやセラを連ねた貨物列車の発車待ちのようです。

⑦ ここからは直方駅と機関区を跨ぐ長い跨線橋の上からの撮影です。

テンダのナンバープレートが形式入りの69632、直方機関区所属のカマです。画面右側は機関区の施設で、地面に山積みとなっている白いものは滑り止めの砂でしょうか。

⑧ 機関区の側から直方駅方向を撮った写真のようです。

キューロクが2両、煙を上げています。セラ、セキ、ワム、トラ、トキといろいろな種類の貨車が見えます。セラとセキのサイズの違いが良くわかりますね。

⑨ これは跨線橋の駅側から、直方機関区方向を写したものです。

キューロクの向こうにDLがいて、その背後が転車台と機関区建屋です。

その右側、遠くの方にも大きな構造物が写っていますが、、、

⑩ 近くの別の跨線橋から見ると、それは巨大な給炭塔でした。

鹿児島機関区の給炭塔の写真も紹介しましたが、直方の方がデカそうですね。右側の弧を描いた装置で石炭を自動的に上部に持ち上げるのではないかと思います。給炭塔の下にはキューロクが1台、石炭の補給を受けているようです。左側にはDL2台。言うまでもなく蒸気機関車専用の設備である給炭塔がその役目を終えるときも、もう間近に迫っていました。

 さて、皆様お気づきと思いますが、筑豊本線・直方機関区の大正生まれの機関車で、重要な形式をまだ取り上げていませんね。

重厚なスタイルのあのカマ、次回たっぷりご覧に入れます。