悲劇を消す チカラ
☆☆
お久しぶりです
この記事
再編集のち更新のつもりが
予定記事のまま
更新されて
コメント頂いて
気が付きました・・・
そのまま
このまま
再更新させて頂きます
☆☆
まずは この犠牲者の
冥福を祈ります。
19年前の この日
平成17年4月に
兵庫県尼崎市で発生した
JR福知山線脱線事故
はじめ これを見た時は
何かの悪ふざけにしか
見えなかった
現実感がわいてこない
まるで幼児が
オモチャの電車を
投げつけたような映像
そりゃあ 悪い
その運転士や 車掌も
そして
それを強いた上司も会社も
しかし ここに
こんな意見もある
会社を そうさせたのは
わずかな時間の遅れに
クレームを付ける利用者
そして
言うだけ言って
結局 そこを利用してる
これも 利用者だと
ここに ひとりの
事故の犠牲者の
記憶が残っている
彼女の父は今も
戦い続けている
時は、この日から
止ったままだ
被害者の父は語る
『会社全体に責任を持たさなければ
絶対ダメだと』
『組織の罰ということは大事なことやと』
『事故を少なくするためには
こういう方法もあると知ってほしい』
『今まで5~600問も質問を書いて
JR西日本や国土交通省に送っているが』
弁護士や周りの事情やら
いろいろ考慮していくうちに
何が悪いのか
何に怒りをぶつければいいのか
段々解らなくなってくる
ドラマや アニメなら
加害者にどんな事情があろうと
結果的には裁かれる
そう
命を奪うような
最終的な行為をすること
ミサイルのボタンを
押すことだけは
してはいけない
そう 教えてるのに
現実には そうはいかない
そして長い長い日々が始まる
せめて
つまらない日々のくり返し
そう 思ってる人がいたら
少し想像力を働かせて
考えてほしい
その、何気ない行為の
積み重ねが
誰かの未来を
変えているかもしれない
って 事を・・・
もし、あの日
上司のやさしい 一言があれば
もし、あの日
遅れた時間を 危険を冒して取り戻そう
と するよりも 怒られる覚悟があれば
その ひとつひとつが
悲劇を避ける 曲がり角
だったかも しれない
きっと、してる人はしてること
日々の暮らしの
あなたの やさしさは
知らないうちに
悲劇を消すチカラになっている
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コメント
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3. 無題
本来はそれぞれ相手の事を思いやれる国民なのに、
なぜか、全体を見ると過剰に他人の目を「気にし過ぎ」の国になって、
結局は「ルール通りにやっておけば、とりあえず厳しい叱責は受けない」という考えを
持つようになってしまうのですよね・・・。
実は、私「警察のドキュメント番組」が苦手なのですが、
確かに罪を犯した人にそれを認めさせるのは大事と思ってます。
でも見ているうちに罪は憎むけど、人まで憎いって言う感情が湧きそうになるのです。
単純なので、すぐに洗脳されそう。
警察が苦手というより、マスコミの煽りが苦手なんですけどね。
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2. 確かに・・・
日本の鉄道の時間の正確さと安全基準は世界でもトップレベル。
そんな社会背景の中でおきてしまった事故・・・
1分でも2分でも遅れれば遅延証明書を発行してもらっている国・・・
狭い日本、のんびりゆっくりも必要なんだけど、難しいね。