ありがたいことに動画がありました。
リンクのみにさせていただきます。
【20160423】
サワコの朝 【髙橋大輔 銅メダルの裏で家出】
TBS
4月23日(土)7:30~8:00
http://www.tbs.co.jp/tv/20160423_131E.html
ゲスト・髙橋大輔/フィギュアスケーター
不動のエースとして日本フィギュア界を牽引してきた氷上の貴公子の素顔とは!?阿川佐和子が意外な側面や表情を引き出します。
番組内容
ゲストは、フィギュアスケーターの髙橋大輔さん。8歳でフィギュアスケートを始め、19歳でオリンピックに初出場。卓越した表現力と世界一と評される多彩 なステップを武器に挑んだ2度目のオリンピックでは、日本男子として史上初となるメダル獲得の快挙を成し遂げました。22才で、選手生命の危機ともいえる 大怪我を経験。逃げ出すこともあった程辛いリハビリを乗り越えて挑んだバンクーバーオリンピックまでの葛藤も…。家出までしたほどスケートが“イヤ”に なった大学時代とは? 引退後は、ニューヨークに1年間語学留学をしていた髙橋さん。ホームステイの話をはじめ、四人兄弟の末っ子として育ち自らを“甘えん坊”だと語る髙橋さん の氷上とは異なるプライベートな表情と28歳で引退を表明したスケート人生を阿川と振り返ります。
出演者
【司会】 阿川佐和子 【ゲスト】 髙橋大輔 1986年、岡山県で四人兄弟の末っ子として生まれる。 1994年、自宅近くにスケートリンクが出来たのを機にスケートを始める。2002年、世界ジュニア選手権で日本男子初めての優勝。 2004年、関西大学に進学。 2006年、トリノオリンピックに出場(8位入賞) 2008年、練習中に右膝前十字靭帯断裂および半月板損傷によりリハビリ。2010年、バンクーバーオリンピックで銅メダル(日本人男子初)。トリノ世界 選手権で世界チャンピオン(日本人初)。 2014年、ソチオリンピックで6位入賞。10月、現役引退。2015年、語学留学のため、渡米。 2016年、フィギュアスケートのナビゲーターやキャスターとして活動。
予告動画です↓
https://www.youtube.com/watch?v=-di4OINbqsk
毎日新聞WEBの記事です。
サワコの朝 不動のエースとして日本フィギュア界を牽引してきた高橋大輔の素顔とは
http://mainichi.jp/articles/20160421/org/00m/200/055000c
トーク番組「サワコの朝」(MBS/TBS系全国ネット、4月23日午前7時半~8時)のゲストは、フィギュアスケーターの高橋大輔。
8歳でフィギュアスケートを始めた高橋は、13歳で初の国際大会優勝、15歳のときには、世界ジュニア選手権で日本男子として初優勝をするなど、みるみ るうちに才能を開花させた。19歳でオリンピックに初出場し、卓越した表現力と世界一と評される多彩なステップを武器に挑んだ2度目のオリンピックでは、 日本男子として史上初となるメダル獲得の快挙を成し遂げた。
22才で、選手生命の危機ともいえる大怪我を経験。逃げ出すこともあったほど辛いリハビリを乗り越えて挑んだバンクーバーオリンピックまでの葛藤や、家出もしたほどスケートが“イヤ”になった大学時代など、28歳で引退を表明した高橋のスケート人生を振り返る。
「記憶の中で今もきらめく1曲」は、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」。初めての試合で踊った大切な曲にまつわる当時の思い出を語る。
引退後は、ニューヨークに1年間語学留学をしていた高橋。ホームステイの話をはじめ、四人兄弟の末っ子として育ち自らを“甘えん坊”だと語る高橋の氷上とは異なるプライベートな表情に阿川が迫る。
<プロフィル>高橋大輔(たかはし・だいすけ) 1986年、岡山県で四人兄弟の末っ子として生まれる。1994年、自宅近くにスケートリンクが出来たの を機にスケートを始める。2002年、世界ジュニア選手権で日本男子初めての優勝。2004年、関西大学に進学。2006年、トリノオリンピックに出場 (8位入賞)。2008年、練習中に右膝前十字靭帯断裂および半月板損傷によりリハビリ。2010年、バンクーバーオリンピックで銅メダル。(日本人男子 初)。トリノ世界選手権で世界チャンピオン(日本人初)。2014年、ソチオリンピックで6位入賞。10月、現役引退。2015年、語学留学のため、渡 米。2016年、フィギュアスケートのナビゲーターやキャスターとして活動。
ここのところ、22時過ぎがザラだったのと、持病の腰痛が若干悪化してきたので、
昨夜は早寝をしました。
本当は本放送の前に情報を上げたかったのですが(^_^;)
起きてから、放送を見ました。
大輔くんが自分を甘えん坊と評していましたが、なんとなくよそ行きの言葉でなく、
本心から言っている気がしました。
と書くと誤解を受けそうですが、
具体的に言えば、子どもの頃に相当可愛がって貰えたのが原因みたいに言っていて、
もしかして誰かにズバリそんなことを言われたのかしら?と思いました。
バンクーバーのガッツポーズは、しなきゃいけなかった、と。
4回転が失敗したけど、それで悔しい顔を見せるのではなく、
ここまでやったんだ!というジャッジアピールが大切と言われて。
今になって出てきた真相っぽくてへーと思いました(^_^;)
そして、会場の雰囲気の良さもあったから、と。
こっちの方が気持ち的に大きかったような気もしますけどね。
バンクーバーはカナダ。
この間のワールド2016のボストンでも感じましたが、
もしかしたら北米の良さかもしれません。
大輔くんのスケート人生にオリンピックは大きいな、と思いました。
大輔くんだけでないのかもしれないけど。
バンクーバーでスケートで競技していく意識がもてた、と。
大輔くんは3回オリンピックに出場しているけど、
それらが彼にとってエポックメーキングになっているような気がしました。
そして、ソチまでの4年間は自分が考えている以上に辛どかった、と。
でも、良い経験はできたと。
の後の”今、心に響く曲”での宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」
え、今?
そう思っていたら不甲斐なく涙があふれました。
久しぶりに、大輔くんに泣かされました。
このチョイスとは・・・・・・
記録として残るのは、結果です。
オリンピックを振り返ろうとしてネットで検索をかければ、結果は残っているでしょう。
でも、記憶として残るのは、結果ではなく、
実はそこに付随する出来事のフラッシュバックであったり、音楽であったり。
私は音楽を聴いて、ああ、この曲ってあの時の・・・と思い出されることがあります。
「誰かの願いが叶うころ」
これを聴いて思い出したのは、ソチオリンピックではなく、
全日本でした。
全日本2013。
オリンピックに出る、出られない。
日本では、全日本の後で出場選手が決まります。
私の中では、多分、一番大きな関心事です。
だから、この歌を聴いたとき、とっさにその時のことがフラッシュバックして涙があふれました。
彼は彼のことを考えたのかな・・・そんなことがチラリ。
最後に新しいことに挑戦することについて。
エンターテイメントとスポーツのキャスター。
あら、LOTFじゃないのね(^_^;)
局的にはそっちだと思うけど、
その時の頭の中はキャスターのことでいっぱいだったのかしら?
すっかり天然でしたね。画面でLOTFが紹介されていました。
インタビューのことを振られて、下手くそと。
最終的には自分ももっと優しく答えていれば、
と自分の話へもっていってしまったあたりも天然のなせる技かしら?と思いました。
こんな話を聞きました。
学校へ行くのを渋るお子さんについての話なんだけど、
そういうお子さんは、家で思いっきり甘えさせて安心させてあげる。
3日間くらいそういうことをしてあげると、
新しいことに挑戦できる力がわいてきて行くことができるようになる、と。
子どもの話なんだけど、
なんとなく大輔くんのすっきりした顔を見ながら思い出しました。
休養期間の1年間。
「楽しかった、学生生活みたいな」と。
スケートが恋しくならなかったとも言っていたけど、
むしろそれが良かったのかもしれません。
多分、今までオファーがありながら「苦手」なこととしてやらなかったことを
やってみようと思うようになれたのでしょう。
大輔くんの中にカッコ良さを求めるところがあると思うので、
「苦手」なことはカッコよくできないことと思っているような気がします。
でも、それをやってみようと思う気持ちになれたのは、
自分のやりたいことを思う存分やれた、甘えられた1年間があったからなのかもしれません。
人によってはその1年間の内容についてどうのこうの言う人がいるかもしれませんが、
大輔くんにとっては必要な時間だったのだな、
とあらためて思いました。
本音を言えば、
スケートの方にがっつり戻ってきて欲しいんですけどね・・・
遠くから見つめるファンとして、そういうモヤリは正直あるのですが、
今日の放送でちょっとすっきり。
久しぶりに記事も書いてみました。
未鳥