小分けで行きます。







大ちゃんの引退が報じられてから数日。
各紙の記者さんがインタビュー内容に合わせてコラムを書いていました。
それらを貼りつけます。



フィギュア:新たな「夢」追う…引退の高橋

毎日新聞 2014年10月14日 21時50分

http://mainichi.jp/sports/news/20141015k0000m050092000c.html


 飾らない人柄が言葉の端々ににじみ、温かな雰囲気に包まれた「引退会見」となった。フィギュアスケート男子の高橋大輔(関大大学院)が14日、出身地の岡山県内で出席した地元財団の表彰式で引退を表明し、その後に開いた記者会見で理由を語った。休養を宣言してから半年。唐突にも映るこの時期での引退表明には、新たな「夢」を追う決意が込められていた。

 集大成にするはずだった2月のソチ五輪はケガの影響で6位。日本で開かれた3月の世界選手権も欠場し、「自分の中の区切りが付いていなかった」と引退を先送り。休養という熟考に入った。

 だが、2018年平昌冬季五輪を目指す4年間を、精神的に相当厳しいと判断した。「悩んでいてもモヤモヤする自分がいるだけ。線を引きたい」。決断したのは9月中旬。現役か引退かで揺れていた心のてんびんは、大きく引退へと傾いた。

 スケート漬けの日々から、20年間の競技生活を、「強引に自分の思いを通すのではなく、(多くを)受け入れて流れのままに生きていこうというスタ ンス。目標が次から次に出てきたので、(自分で)目標を定めようと考えたこともなかった」と振り返った。今後の人生のかじ取りを自らに委ねられ、「戸惑っ ている」と打ち明ける。「今、一番欲しいものは『夢』」。今後はダンスなどにも取り組み、将来スケートに関わっていくかどうかも考えながら過ごしたいと言 う。引退は、新たな人生の旅立ちにもなった。競技生活で最も印象的な場面として、日本男子のフィギュア選 手で初めて立ったバンクーバー五輪の表彰台を挙げた。「旗が揚がっていく表彰台の景色は鮮明に覚えている」。ケガとも闘いながら、頂点に挑み続けた日々。 卓越した演技力で数々の金字塔を打ち立てた日本のエースは、人々に鮮烈な記憶を残しながら勝負の銀盤を去った。【芳賀竜也】







フィギュア:高橋、男子の黄金期築く

毎日新聞 2014年10月14日 21時53分

http://mainichi.jp/sports/news/20141015k0000m050094000c.html

 4回転ジャンプなど迫力あふれる男子に、優雅な舞を繰り広げる女子。今でこそ男女で人気を二分するフィギュアスケートだが、日本での男子は長らくマイナーな存在だった。そこから結果を積み上げて人気を集め、ソチ冬季五輪金メダルの羽生結弦(19)=ANA=ら次世代もけん引した高橋大輔の功績は大きい。

 高橋は公式戦では世界で誰も成功させていない4回転フリップに挑むなど、技術面でもトップを目指したが、国際的に大きな評価を勝ち得たのは卓越し た演技力だ。長光歌子コーチは、高橋を「音楽が鳴り出せば、氷の上だけではなく床の上でも踊り出してしまうような感覚を持つ。ジャンプばかりではなく、ス ケーティングや表現力も高められ、欧米に負けない日本男子フィギュアのスタイルを確立できた」と評した。

 高橋は、自身も指導を受けた1998年長野、2002年ソルトレークシティー両冬季五輪代表の本田武史さん(33)の名前を挙げ、「女子や本田先 生が切り開いた道に乗り、やってこられた。感謝の気持ちしかない」と語る。自らが歩んだその道を、今度は高橋に憧れた新星たちが続く。「高橋選手に今の男 子フィギュアを作っていただいたと思っている。いつまでも憧れの存在」と羽生。日本男子の黄金期は、次代の選手に引き継がれていく。【芳賀竜也】











体が曲を奏でていた…高橋大輔、逆境超えて極めた美


後藤太輔  2014年10月14日22時11分

http://digital.asahi.com/articles/ASGBG53VFGBGUTQP01C.html

 高橋が会見で、「悔しくて……」と振り返ったのは、2度目の全日本王者になった試合だった。2006年、名古屋市での全日本選手権「女子の演技が終わって男子が始まると、お客さんがガラッと減った」

 以来、「男子の人気を高めたい」と公言し続けた。長光コーチが「体が曲を奏でている」と褒めるその表現力は、見る人を楽しませたいという意欲もあって成長した。

 08年には右ひざの靱帯(じんたい)を手術。地味なリハビリに音(ね)を上げ、2週間の「プチ家出」をした。五輪本番まで1年を切ってから氷上練習を始め、バンクーバーで銅メダル。会見では、「あれがなかったら、もっと早く引退していたかもしれない」と振り返った。

 高橋はよく、「苦しい」「厳しい」と、隠そうともせずに口にした。アスリートとしては弱気過ぎるという批判もあるかもしれない。しかしそれは、「逆境はチャンス」と、正面で受け止められるから出てきた言葉なのだと思う。

 引退会見を、「ご声援ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」と締めくくった。何事にも素直な人柄ゆえ、コーチやトレーナー、栄養士にマネジャーと、支える人が自然と集まった。そんな高橋らしい、最後の言葉だった。(後藤太輔)










世界から愛された高橋 飾らない性格

http://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20141014-1381692.html

 フィギュアスケート男子で歴史を切り開いた高橋大輔選手が現役を引退することが14日、分かった。

 世界ジュニア選手権や世界選手権、グランプリ・ファイナルでの優勝、五輪でのメダル獲得はいずれも日本の男子で初の快挙だった。女子の陰に隠れてきた男子の注目を高め、黄金期を築き上げた。

 いわゆる“イケメン”で、飾らない性格が女性の心をつかんだ。大会やアイスショーでの集客力は抜群で、応援しようと海外まで足を運ぶファンも少な くない。軽やかなステップや天性の感覚で音を捉えた踊りは海外のトップ選手も一目置いた。実力と人気を兼ね備え、世界から愛されたスケーターだった。

 昨年11月に右膝の痛みが再発し、たまった水を何度も抜かざるを得なかった。ソチ冬季五輪は勝負の鍵を握った4回転ジャンプが決まらずに6位。多くの選手が1試合で4回転を複数回成功する時代になり、3度目の五輪で「自分の限界を目の当たりにした」と漏らした。

 集大成との覚悟でソチ五輪に挑んだ後「体より気持ちがきつい。気持ちの部分で戦っていけない」と語った。日本開催だった3月の世界選手権を欠場 し、選手生活にピリオドを打てなかったことが心残りかもしれないが、高橋選手が醸成した強豪国のプライドは五輪金メダルに輝いた羽生結弦選手(ANA)ら 後輩に受け継がれた。

 [2014年10月14日9時5分]










日本男子・功労者の決意 満身創痍…「気力に限界」と関係者

2014.10.14 10:19

http://www.sankei.com/sports/news/141014/spo1410140017-n1.html

 フィギュアスケート男子の人気を牽引(けんいん)してきた功労者が、引退を決意した。

 3大会連続で、「最後の五輪」と位置づけた 2月のソチ五輪。体はすでに満身創痍(そうい)だった。昨年11月に負傷した右脚は最後まで回復せず、08年に前十字靭帯(じんたい)断裂という大けがを 負った古傷の右膝も関節炎で水がたまる状態だった。ただ、関係者は28歳の心境について、「けがよりも、気力の部分で(現役を続けることが)難しくなった ようだ」と明かした。

 バンクーバー五輪で日本人初の表彰台に上がる銅メダルを獲得。世界選手権優勝も、グランプリ(GP)ファイナル制覇も日本人初の快挙で、日本男子の黄金時代の第一人者であり続けた。

  長野五輪などの代表だった本田武史らの背中を追い、織田信成、小塚崇彦とはバンクーバー五輪のリンクに立った。自らに憧れた町田樹がいて、その下から羽生 結弦という初の五輪金メダリストが生まれた。激しい競争は想像するだけで息苦しくなるが、高橋はこう話したことがある。

 「男はみんな負けず嫌い。ちょっとでも甘えそうになると、素晴らしい選手が出てくる。そのことがモチベーションだった」

 卓越した表現力よりも、高く跳べる4回転ジャンプよりも、高橋がよりどころにしてきたのが、ライバルたちに「負けたくない」という気持ちの部分だった。それゆえに、気力の限界は、引退へと直結した。(田中充)






















飾らない人柄が言葉の端々ににじみ、温かな雰囲気に包まれた「引退会見」となった。


卓越した演技力で数々の金字塔を打ち立てた日本のエースは、人々に鮮烈な記憶を残しながら勝負の銀盤を去った。


今でこそ男女で人気を二分するフィギュアスケートだが、日本での男子は長らくマイナーな存在だった。
そこから結果を積み上げて人気を集め、ソチ冬季五輪金メダルの羽生結弦(19)=ANA=ら次世代もけん引した高橋大輔の功績は大きい。


高橋は公式戦では世界で誰も成功させていない4回転フリップに挑むなど、技術面でもトップを目指したが、国際的に大きな評価を勝ち得たのは卓越した演技力だ。


高橋はよく、「苦しい」「厳しい」と、隠そうともせずに口にした。アスリートとしては弱気過ぎるという批判もあるかもしれない。
しかしそれは、「逆境はチャンス」と、正面で受け止められるから出てきた言葉なのだと思う。



引退会見を、「ご声援ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」と締めくくった。
何事にも素直な人柄ゆえ、コーチやトレーナー、栄養士にマネジャーと、支える人が自然と集まった。
そんな高橋らしい、最後の言葉だった。



いわゆる“イケメン”で、飾らない性格が女性の心をつかんだ。
大会やアイスショーでの集客力は抜群で、応援しようと海外まで足を運ぶファンも少な くない。
軽やかなステップや天性の感覚で音を捉えた踊りは海外のトップ選手も一目置いた。
実力と人気を兼ね備え、世界から愛されたスケーターだった。



高橋選手が醸成した強豪国のプライドは五輪金メダルに輝いた羽生結弦選手(ANA)ら 後輩に受け継がれた。


フィギュアスケート男子の人気を牽引(けんいん)してきた功労者が、引退を決意した。


「男はみんな負けず嫌い。ちょっとでも甘えそうになると、素晴らしい選手が出てくる。そのことがモチベーションだった」 
卓越した表現力よりも、高く跳べる4回転ジャンプよりも、高橋がよりどころにしてきたのが、ライバルたちに「負けたくない」という気持ちの部分だった。










ここでは、
私的にはこの言葉かな。




高橋はよく、「苦しい」「厳しい」と、隠そうともせずに口にした。アスリートとしては弱気過ぎるという批判もあるかもしれない。
しかしそれは、「逆境はチャンス」と、正面で受け止められるから出てきた言葉なのだと思う。










そう思います。
全部を受けとめる。
こんな強く大きな気持ちを
私も、もちたいです。























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