復帰の可能性。
前記事の芳賀さんの記事を読みながら、あれ、ここ抜けてる?
というところがありました。
正直、現役に未練がないわけではない。チャンスがないわけでもない。
ここ、1回復帰できるって大ちゃん明言していたよな・・・
それを書いた記事は、前の前の記事で貼りつけたのですが、
再掲します。
【一問一答】高橋 結婚「考えてない」
2014年10月14日
http://www.daily.co.jp/newsflash/general/2014/10/14/2p_0007417247.shtml
フィギュアスケートの男子エースとして活躍し、引退を表明した高橋 大輔(28)=関大大学院=が14日午後、記者会見に臨んだ。競技分野から2、3歩引いてスケートと向き合うこと、引退を決意した時期が9月半ばであるこ と、結婚は今は考えていないこと、などを明かした。以下は一問一答の要旨。
(引退表明について)
「8月のアイスショーが
終わってこれから考えていこうと思っていたんですけど、すっきりしないというか。僕自身もすごく時間がかかるかなと思っていたんですけど、(8月の)アイ
スショーが終わって何もすることがなく、自分の時間を過ごしているし、引退とひと区切りつけてから次に進んでいく方がいいかなと思いまして。簡単に言えば
引退なんですけど(笑)。その後にゆっくり考えていこうと思いました」
‐発表しての今の気持ちは。
「僕の中で現役
最後の試合がオリンピックになって、世界選手権にどうしても出ることができなくて、今まで応援してくださった方の前で自分は引退しますと公言してという
か、ファンの方の心の準備がないままに引退となってしまって申しいう形をとってしまってすごく申し訳ないなと。こうなってしまってからは世界選手権だけは
出てればよかったなという後悔はあるのですけど」
「スケート自体をやめるわけではないので、競技人生を引退ということなので。皆さんにお
伝えできてよかったと思いますし、正直、現役に未練がないわけではない。チャンスがまったくなくなったわけではなく、一度復帰できるということもあって、
競技に戻りたいのか、全然違う道を歩むのか、また違ったスケートの道を歩むのか、と今は思っている。こういう風にバーンとなってしまったので、戻ると言っ
ても戻りにくいかもしれないですけど。さらっと本当は言いたかったんですけど(笑)。気持ちとしては(ソチ五輪後の)3月から7か月ですかね、一番すっき
りした気持ちでいます」
‐未練がありながら引退する理由は。
「ソチ
五輪で一つの区切りと思っていたんですけど、自分の中でも世界選手権までは決まったら出ようと思っていた。自分の中の区切りもついていなかった。大きな理
由というと、何なのかなと今自分の中でも、次の目標ができたわけでもないですし、これから考えていきたいですし。自分の中ですっきりしたいなと。そうじゃ
ないと、休養ということでいつ戻るのか、戻らないのか、気持ちを少し残しておくことで、どうも次に進みにくいなと常々、感じている自分がいて」
「1年考えて言おうかと思ったんですけど、競技、シニアの試合が始まる前に言おうと。すごく自分でも決めたのは早かったので、大きな理由というのはなく、
(周囲と)しゃべっていくうちに、このことをしゃべっていくうちに決めてしまったというか。そのうちにやっぱり引退しようと決めたのがいうのが大きくて、
決めたのは9月の半ばに決めたので、すごく最近です」
「多分、どこかに(引退の気持ちは)あったんだと思います。8月までアイスショーもあってすごく忙しくて、それがなくなった時に、その気持ちが大きくなったんだと思います」
‐けが、モチベーションが理由か。
「けがは大きな理由ではないです。モチベーションという意味では理由はあるかもしれないです。オリンピックに出たので、4年を考えてしまう自分はいました
し、最後と考えていたソチ五輪が、万全の状態ではないというか満足のいく結果、気持ちの上でもすっきりやりきったという演技や結果ではなかったので、そう
いった中でそれがまたできるのかというと、もし現役を続けたとしても頑張れる自分がいるのか。今までソチ五輪を目指す時にモチベーションを保つのがすごく
難しいのを感じながらやっていた。今の僕では(再び五輪を目指すのは)不可能だと感じた部分はあった」
‐一番の思い出は。
「なんですかね(笑)。過去というか、一つ一つ終わってしまえばすぐ次へ向かっていたので。ないわけではないですけど、全てが思い出だったかなと。いいことも悪いことも自分にとってはいい思い出だった。どれが一番と言うのは難しいと思います」
‐選手としてこだわってきたことは。
「こだわりが自分ではあまりないと思っているので、流れのままで生きていこうと。強引に自分の思いを通すのではなく、受け入れて、それをやってみて決める
というスタンスだけは、そこだけは自分の中で常々あって。人からいろんなものを吸収しようという思いが常にあって、競技生活をやってきたのかなと思いま
す。あと演技では独りよがりの演技をするのではなく、コミュニケーションを大事にして、1つになるというのを心がけてきたかな。2つぐらいです。それもこ
だわりというより自然に。自分の性格からやってきたのかなと思うんですけど」
‐今後のことは漠然でも考えは。
「これから
自分はアイスショーなんかには出させていただくんですけど、少し一歩引いたところから考えたい。何か縁があればやっていこうかなと。ただ、自分の中で1
年、2年の間はフィギュアスケートから少し、2、3歩ぐらい引いた生活をして探していこうかなと。自分がフィギュアスケートというものをどこまで好きなの
か、情熱を持っているのか。今までずっと目標がは次から次に出てきたので、目標を定めたことがなかくて本当に戸惑っている状態で」
「何に
情熱を持ってきたかと考えた時にスケートしかなかった。これが本当のものなのか、次から次に来るものを消化してきたものか分からなかったので。引いたとこ
ろで生活してみれば、どこまでスケートを好きでいたのか、これを本当にやっていてよかったと思えたのか分かると思う。特にはっきりと決めずに、流れのまま
にいこうと思います」
‐ファンへのメッセージを。
「引退です、と競技をお見せすることができなかったことが後悔している
し、残念と思った。スケートから完全に離れるわけではなくて、これからも皆さんの前で滑っていけたらなと思っています。応援までいかなくても、あんな選手
がいたなと言ってもらえるように、ちょっとでも頭の片隅に置いてもらえれば。もしかしたら違った形で出るかもしれませんし、それは僕自身も分からないんで
すけど、そうなったら、もう1回、応援していただけるのであれば、応援してもらえたらうれしいなと思います」
‐この場に来てくれたファンも大勢いた。
「熱心に応援してくださっている方がいて、その方々に僕は今まで支えられたと思う。引退と発言したことで寂しがっておられる方がいてくれるのはうれしいで
すけど、いてくれると思う。今まで支えてくださってありがとうございましたと言いたいですし、完全にスケートをやめたけではないですし、また違った形で僕もス
タートしますし。そんな自分をまた、応援というか見に来ていただければ。アイスショーもいくつかきまってますし、そこが皆さんの前に出てくるところかな。
町ですれちがったときに声をかけていただければうれしいですね」
‐岡山県で会見した理由は。
「賞をいただくということ
で、(故郷の)岡山でタイミングが重なったのもあるんですけど。自分が引退をすると決めたタイミングだったり(では)、大々的にこういう会見をするつもり
は本当になかったので、岡山に帰った時に…。この町に生まれなければ、フィギュアに出会ってなかったと思う。違うところでスケートを始めていれば早くやめ
てしまったかもしれない。それがあったので、決めたことを自分の口からお伝えしたいなという気持ちがあって、この場をお借りしてというか、自分の次のス
タートの場にしたいと思ってここで言うことにした」
「タイミングとしては自分が引退しようと決めた時に、シーズンが始まる前にしたいな
と。他の選手もこれからモチベーションを上げる中で変な時期に言ってしまって、特にどうのこうのはないと思うんですけど、自分は選手もやっていたので、前
がいいのかなと。そういうこともあってこのタイミングで発表させていただいた」
‐今後、指導者や振付師への道はあるか。
「本当に(今後については)分からなくて。アイスショーで滑るのが楽しいですし、人前で滑るのが好きなんだと思うんですけど。それだけじゃないなという自
分もいる。スケートに関わっていくのか、関わっていかないのか、ということも視野に入れて、今後生活をしていきたいと思っている」
「今の
段階ではコーチだったり、指導者とか、振付師という選択肢は考えていない。その前にスケートと向き合っていきたいのかというのを、その根本的な部分のとこ
ろを探すというか、自分の気持ちがどうなのかを感じたいなと。スケートに関わっていくであろうと、そうなるのが、自分としては一番うれしいし、いい結果と
いう風に考えているところだと思います」
‐以前、パートナー(結婚相手)がほしいと話していたが、その後、パートナー、結婚については。
「まったく考えていないですね。今は(笑)。これからなので、これからの人生が決まってから、迷っている段階ではなく、決まってからそういうことをやって
いきたい。(パートナーが欲しいと発言した)あの時は寂しかったんだと思います。候補もいないです。そんな時間もなく。1人で。忙しかったんで。そっちに
目がいかないというか。中途半端なままというのはあれなんで。まったくないです」
‐日本スケート連盟の会長(橋本聖子氏)と連絡は。
「この引退に関しては誰にも相談はしてないです。自分で決めて後は事後報告は。会長とは電話をしたんですけど、タイミングが合わなくて話しはできていないです。話は通じている」
‐印象に残っている演技は。
「演技っていうのは何個かあるんですけど、演技より(銅メダルを獲得した)バンクーバー五輪での表彰台の景色は今でも思い出せる。今まで忘れっぽいので漠
然とはあるんですけど、日本の旗が上がっていくのは鮮明に思い出せる。演技もすごくよかったんですけど、(思い出せるのは)100%ではないですけど」
‐大きなけがをリハビリで乗り越えてきた。当時を振り返ると、どんな思いか。
「すごく昔のことのように感じられますし、けががあったことは、今でも影響がないわけではないと思っている。あれがあったからこそバンクーバーでメダルを
取れたと思うし、自分を見つめ直して体をちゃんとつくってやっていかないといけないと思いました。一つの大きなターニングポイントだったと思う」
「大きいけがをするというのは、その後、ずっとそれがついてくるというのを感じていますし、やっぱりけがはしないほうがいいとも思います(笑)。でもやっ
ぱりあれがなくて今まで続けてこられたかというと、なかったらもっと早い段階でやめていたかもしれない。その2つの気持ちがある。今は気持ちの中ですっき
りしている部分があるんですけど。完全にスケート自体をやめたわけではないので、けがは今後もついてくるのかなと思います」
‐けがと戦うアスリートに対してメッセージを。
「人それぞれの向き合い方、付き合い方はあると思うので、僕が自信を持っては言えないですけど、大きなチャンスになる時もあると思う。あきらめずに大変さ
をいい経験と楽しむんだ、という気持ちでやっていったら絶対にいいことがある。結果が出なくても経験は自分のものになると思いますし、同じ経験をした人に
は同調できたり伝えたりできると思う。自分の幅を広げる意味ではけがというのは考え方を変えればいいことだったなと思う。頑張ってらっしゃる方には諦めず
に頑張っていただきたい。次のステージが決まるまでは逃げずにじっくり向き合って進んでもらえたらなと思います」
‐9月半ばに決めたとのことだが、そこから心境の変化、発表しての心境は。
「決めてから今までは特に変わらずというか、決めた時には、そうだったんだなと自分自身に対して思って、発表する日が来るまでは充実した、すっきりした時間を過ごせたかなと思っています」
ということで、
前記事のFNNニュースでも大ちゃんがしっかり言っていましたし、
デイリーさんはそれを忠実に再現してくれていたということになります。
多分・・・
このデイリーの記事は早い段階に出たので、真央ちゃんの話とか入っていません。
だから、詳細編に入れるのはどうかな?と思ったのですが、
あらためて読んでみると、いい記事ですね・・・
結局、自分が書き起こしをしていないから
そういう感じをもつのかもしれませんけどね。(^_^;)
でも、私にとって大事な一文が入っているので。
チャンスがまったくなくなったわけではなく、一度復帰できるということもあって、 競技に戻りたいのか、全然違う道を歩むのか、また違ったスケートの道を歩むのか、と今は思っている。
この、一度復帰できる、ということ。
外国人スケーターでは、プルシェンコくんとかランビエールくんとか、
バンクーバーオリンピックの前に復帰してきたから有名な話だけど、
日本人ではどうなのかな?
ということで、一応調べてみました。
同じデイリーさんの記事にまず、ありました。
高橋が現役復帰する場合 必要条件は?
http://www.daily.co.jp/newsflash/general/2014/10/14/0007417433.shtml
フィギュアスケート男子の高橋大輔(28)=関大大学院=が
14日、引退を表明した。岡山市内での記者会見では「現役に未練がないわけではない。一度、復帰できるということもあって、競技に戻りたいのか、全然違う
道を歩むのか」などと発言し現役復帰を完全には否定しなかったが、現実的に現役復帰するにはどのような手順が必要なのだろうか。日本スケート連盟に問い合
わせた。
同連盟の担当者によると、各選手権大会やグランプリシリーズといった競技会に出場するには、国際スケート連盟(ISU)が定める資格者でなければならない。その一つに「世界反ドーピング機関(WADA)」に自身の居場所を報告し続けなくてはならないというものがある。
今回の高橋のように引退を表明した選手はその手続きが必要なくなるが、もしも復帰するとなれば、ISUに、その旨を届け出なければならない。前述の担当者は「国際スケート連盟としても、カムバックスケーターとして、仮に何らかの理由で資格を失った人にも認めている。やっぱりやりたい、となったら、ISUに届け出ることによって、戻ってきてよいとなります。その代わり、検査を受けるということになります」と説明した。
また、日本スケート連盟には、資格者は同連盟の了解なしにCM出演や書籍の出版など商業活動をしてはならない、という規定がある。今後、引退した立場の高橋は商業活動についても自由に行えることになるが、もしも復帰するとなれば再び届け出をしなければならなくなる。
前述の担当者は「それを高いハードルと感じるか、低いハードルと感じるかは個人の部分だと思う。ルールとしては1度やめた人でも復帰はできます」とした。
高橋は今後、どういった進路をたどるのか。会見では「スケートに関わっていくのか、関わっていかないのか、ということも視野にいれて、今後生活していきたい」と語っている。
復帰する方法
①ISUに復帰することを報告する。
資格の一つとして「世界反ドーピング機関(WADA)」に
自分の居場所を常に報告しなければならないし、検査も受けなければならない。
②日本スケート連盟に報告する。
そのかわり、商業活動は連盟が了解したものに限定される。
①と②は書かれた順であって、
もしかしたら、
逆であったり、同時進行だったりするのかな?と思いました。
個人的には②→①の順番の気はしますけどね。
知り合いのスケートに詳しい友人にも聞いてみました。
すると、
殿堂スケーター伊藤みどりさんであったそうです。
Wikipediaにもその記述がありました。
今後の去就が注目されたが、1992年4月25日に新高輪プリンスホテルで引退記者会見を行った。
(中略)
1995年に日本スケート連盟の要請によって、長野オリンピック出場を目指してアマチュアに復帰する。1996年1月の全日本選手権では3回転アクセルを成功させ、4年ぶり9度目の優勝を果たした。しかし3月の世界選手権では体重を絞り過ぎてしまい、貧血による体調不良もあって7位に終わり、1996年11月に再びアマチュアを引退した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E3%81%BF%E3%81%A9%E3%82%8A#.E3.83.97.E3.83.AD.E3.82.B0.E3.83.A9.E3.83.A0
みどりさん、すごい・・・
1992年に引退をして、3年後に復帰されて3Aを跳んだなんて。
やはり、この人は天才ジャンパーだとあらためて思いました。
で、復帰理由は、
どうも日本人枠を確保するために要請されての復帰なんですね。
確かに・・・その前年の、1995年の日本女子は10位、12位、16位と低迷しています。
でも、その前の年、1994年は佐藤有香さんが幕張で1位になっていますけどね・・・
日本スケ連としては、問題は順位でなく、枠取りなんでしょう。
2002年長野大会で村主章枝さんが3位で表彰台に上がるまでは、
枠取りが厳しい状況だったようです。
ルールとして存在しているし、
実際に、引退して復帰したスケーターがいた、
という事実がありますから、
復帰はありえるわけです。
あとは、大ちゃんの気力・・・しだいかしら。
体力はその気になれば・・・と思うところもあるのです。
年齢的に、
これまでと同じようなベストではないかもしれない。
でも、その時の、ベストかベターには、
気力があれば出来るのでは・・・?
私の好きな言葉でいえば、
為せば成る、
だと思いますから。
だから、引退報告を聞いた当日は思いっきり泣いたけど、
今は、落ち着いています。
落ち着いて、待っている、
そんな感じです。
そして、ある方のブログでこんな大ちゃんの言葉を聞かせて貰って尚更。
リンクシェアの許可をいただきましたので、貼りつけます。
高橋大輔選手「オリンピック入賞を祝う会」(3) 「…あるけどね」
http://blogs.yahoo.co.jp/angelica1979jp/39456872.html#39456872
祝賀会の最後に、後援会長さんから現役復帰の可能性の示唆を促されての
ありますけどね。
私は、やはり期待したい。
来年、再来年でなくていい。
ピョンチャンの直前でもいい。
たくさんで、なくていい。
ただの1回、でもいい。
地方大会でもいい。
待ってる。
やっぱり、私は待ち続けたいです。
この記事はここまで。
詳細編は、もう一つ紹介して終わりにします。
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