てっぺんの大輔は、4年前にも復活から優勝しました。
福岡へ遠征中に三知さんのブログが更新されました。
遠征先では時間がとれず、紹介できませんでしたので、今頃の紹介です。
近況報告
http://www.sochimichi.com/2013/12/06/gpf/
この言葉に三知さん同様感動しました。お借りします。
大輔がてっぺんで、その次に支えるスタッフがいて、その次にそうした人を応援する私達がいる。
きっと、その次も、その横にもそうした人はいっぱいいるから、スゴイことになってるね!
大きな大きなピラミッド。
そんな立体的な絵が、私の頭の中に描かれました。
そう、大ちゃんを支える人達はいっぱい。
大ちゃんのニュースを聞いたとき、自分もショックでしたが、
そばにいるスタッフの方が辛かったろうな、と思いました。
自分が代われるものなら、と思ったのではないでしょうか。
でも、そうできないから、
自分たちができることをして、支えていく。
想像の中のそういうそんなスタッフの声が
三知さんのブログから直接聞けたことは、
わかっていることとはいえ、嬉しいことでしたし、
数少ない大ちゃん情報としても、ありがたかったです。
最高の場面。
私の中では変わりません。
ソチのリンクの真ん中で、
フリーを滑り終わって、
満場のお客さんからスタオベを笑顔で受けている大ちゃん。
それしか見えていません。
それを胸に私も皆さんと一緒に歩ませてもらえれば、ありがたいです。

そんなオリンピック選考の全日本に向けて、
松原さんがNumberwebに記事を上げてくださりました。
フィギュアスケート特報
高橋大輔が復活を見せた4年前……。
五輪代表を賭けた全日本、始まる。
http://number.bunshun.jp/articles/-/764701
「全日本選手権はほかの大会と違う」
しばしば、選手たちは口にする。どの選手にとってもそのシーズン後半の国際大会の代表選考のかかる全日本選手権は特別な大会だ。ましてやオリンピックシーズンはなおさらだ。
2009年、バンクーバー五輪の日本代表3枠をかけて、大阪なみはやドームで行なわれた大会もそうだった。当時、代表選考基準はこのように定められていた。
(1) GPファイナルの日本勢最上位のメダリストが全日本選手権出場を条件に内定
(2) さらに全日本選手権の優勝者を選出
(3) 残りを、全日本選手権3位以内、GPファイナル進出者、世界ランキング日本勢上位3人を対象に総合的に判断
(1)の条件で織田信成が実質的に内定し、残り2枠をかけての争い。優勝したのは、高橋大輔だった。
「重い緊張感でした。緊張で体力も奪われました」
「チャンピオンになりたいしオリンピックにも出たいです」
高橋にとっては'08年秋の大怪我と手術、リハビリを経て復帰したシーズンだ、期するものがあったのだろう。
ショートプログラムの「Eye」で「シーズンで一番の出来です」という演技で首位。フリーではジャンプで失敗もあったが、2位との差をさらに広げての優勝だった。
「全日本チャンピオンと言われる演技ではありませんでした」とフリーを悔いつつも、次の言葉には実感がこもっていた。
「いろいろありました。だから(その時間を)無駄にはしたくありません」
織田が2位となり、3位で代表の座を射止めたのが小塚崇彦。
「今までの全日本と全然違う、重い緊張感でした。緊張で体力も奪われました」
と言うほどの重圧を打ち破って表彰台に上がる力となったのは、本人いわく「オリンピックに出たいという思い」だった。
再び、オリンピックシーズンの全日本選手権が始まる。
終わってみれば、大会前に予想された実力者3名が順当に代表入りして終えた'09年の全日本選手権。だが、それぞれに、自分自身の思いを抱え、重圧と戦って得たオリンピックでもあった。
この大会では、町田樹が4位と健闘し、中学3年生だった羽生結弦も溌剌とした滑りで6位となっている。このシーズン、怪我に苦しみ10位に終わった無良崇人も含め、再び迎えるオリンピックシーズンの全日本選手権で、どのような滑りを見せるのか。それは何よりも、自分自身との戦いでもある。
いろいろありました。だから(その時間を)無駄にはしたくありません
3年計画できた大ちゃん。
バンクーバーはケガをしてから1年足らずでしたが、
3年間は長いながらも順当と言えない3年間だったと思います。
3年間は3年間でいろいろあった。
その全ては、ここに向かっているはずです。
直前のトラブルからの復活。
でも、全てに意味があるはずだから。
待っています。
そうです。
私の大ちゃん応援も、
実は
オリンピック選考の全日本から始まったのですから!
読んでくださり、ありがとうございます。
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