大阪日日新聞のフィギュアスケート企画連載2回目です。




トップ目指すきっかけ 情熱取り戻した転機の場所



http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/skate/120801/20120801049.html



 



 高橋大輔選手はかつて、大阪府臨海スポーツセンターを拠点に練習をしていた。高槻O2(オーツー)リンクが閉鎖して、関大アイスアリーナが開設するまでの期間、大学1~2年(2004~06年)のことだ。


 「コーチの家から電車やコーチの車で通っていました。ちょっと調子に乗ったり、スケートに向き合えなかったりしていたころ。トリノオリンピックの前に少しずつ注目されるようになって調子に乗っていたのでしょうね。今、思い返せば『よくそんな発言をしていたな』と思います」と当時を振り返った。


 大学入学に伴う環境や周りの反応がどんどんと変わっていき、まだ若かった高橋選手は戸惑い、スケートにどう向き合っていくか見失ってしまっていたのだという。「いろいろとつらかったですね。スケートをやりたくなくて練習を休んだりしたこともありました」と、思いがけない言葉が飛び出した。


 高橋といえば02年の世界ジュニア選手権のタイトルを日本男子として初めて獲得したスケーター。将来を早くから期待されてきた選手でもある。それでも、立ちはだかったシニアの壁。シニアの大会でなかなか思うような結果を出せなかった。


 そんな高橋選手が再びスケートへの情熱を取り戻したのは06年の春のことだった。「トリノオリンピックの日本男子出場枠を決める世界フィギュアスケート選手権(ロシア)でぼろぼろになって、出場枠1になったんです。それから『絶対、トリノオリンピックに行きたい』と気合を入れ直し、練習に強い気持ちで向き合えるように変わりました。ここのリンクはスケーターとして、人としていろいろと学べた場所だった」と話す。


 そのときにメンタル面とフィジカル面で最も成長したという。精神的に強くなったのも、スケーターとして欲が出てきたのも、トップを目指そうと思うようになったのも、このリンクにいたとき」と明言する。


 若き日の苦悩、雪辱を期して、強化の過程を見つめ直した。ステップの進化に力を注ぎ、厳しいトレーニングに身を置くようになった日々。それらの努力はすべて、その後の飛躍につながっていった。

 【臨海スポーツセンター支援の会】http://rinkai.rocket3.net/







「楽しい思い出だけじゃなくて苦しい思い出が詰まっている大切なリンク」

これは、以前、臨スポのフェスティバルで大ちゃんが語った言葉です。
大学1,2回生の頃と話していました。
競技人生としては、2004年~2006年。
2004-2005シーズンは、SP「剣の舞」→「Nyah」、FS「アランフェス協奏曲」
2005-2006シーズンは、SP「ロクサーヌ」、FS「ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番」
2005-2006シーズンは言わずもがな、オリンピックシーズンです。


「ちょっと調子に乗ったり、スケートに向き合えなかったり」

高校を卒業するまで、岡山から週末だけ大阪の長光先生のところに来ていた大ちゃん。
毎日、スケートをする「真面目」な生活を送っていました。「当たり前」だと思っていた生活の中では、友達も少なく、誰からも遊びに誘われなかったそうです。
まあ、この時期には、GPシリーズに行ってたり、海外武者修行にも行ってたりしたわけですから、遊べなかったのかも仕方ないかもしれませんね。
でも、大学に入ってからのことを『be SouL』(祥伝社)でこんな風に書いています。






ところが関西大学に入ってから、その反動でうっぷんが爆発してスケートに全く集中できなくなった。日曜日が休みになり、「休み」を覚えてしまったことがいけなかった。高校生まで真面目すぎたせいで遅れて弾けてしまった感じ。友達もできて遊ぶのが楽しくて、「スケートをやめたい」と思ったこともある。かなり。

高橋大輔『be SouL』(祥伝社)P.23






スケートに向き合えなくなっていた。
というか、スケート以外に世界が広がって、楽しくていろいろスケート以外のこともやりたかったんでしょうね。
いいこととは言えないけど、人間くさくて、共感できます。



「トリノオリンピックの前に少しずつ注目されるようになって調子に乗っていたのでしょうね。今、思い返せば『よくそんな発言をしていたな』と思います」




この頃のことはよくわからないのですが、注目されるのは嫌じゃないから(むしろ好きだろうな)なにか、うっかり発言みたいなことをしたのかもしれません。



いろいろとつらかったですね。スケートをやりたくなくて練習を休んだりしたこともありました」



「プチ家出」ですね。お金がないから海を見に行っていたという・・・「オレはやりたくないんだよ」というアピールだったそうです。






実は、そんな様子を大ちゃん自ら語っている動画がありました。
動画主様、ありがとうございます。お借りします。




http://www.youtube.com/watch?v=ioLavbH8oHA&feature=relmfu











長光先生の家に「居候」していた頃です。
 

 
 
 
歌子先生のジャンパーが臨スポのスタッフジャンパーです。
 
 


学生の大輔。
口元に持っていった手の動き、今でもあります。
 

 
友達と談笑する大輔。
友達に歌をリクエストされ、
「え、そんなん・・・緊張するやん(笑)」
と手で顔を覆います。

なんか・・・萌え~としたので一枚(^^ゞ




ここからが語る大輔です。

 


 


 




フと見せる真顔。 

 

そして、この顔は何ともいえない・・・


 
 


サークルや部巡りをする友達が羨ましかった・・・
スケートで大学に入ったから選ぶことができなかった。
根っこが真面目な大ちゃん。
あるいは、ちゃんと周囲のことを考えていたのでしょうね。


だから、スケートで期待されることが重圧になってきていたみたいですね。


 


「そんな一足飛びにいかへんって」


歌子先生は励ましますが。




「自分の意思だけでやめれる立場じゃないんで・・・それが余計・・・辛かったですけど」

「やめれる立場だったらね、ポンとやめてまた、新しいことでも始めればいいんですけど」

「でも、今までお世話になってきた人たちもいるし、期待してくれた人もいるし・・・
 そういうのは裏切れない、というのがあったんで、まあ、それが辛かっ・・・」

「でも、自分は練習したくないし、練習場に行っても全然練習できないし。
 でも、試合が近づいているから練習しなきゃならないし・・・すごい辛かったですけど」


辛かった・・・という言葉の多いこと!
辛くて辛くて仕方なかったことが十分、わかります(ToT)


歌子先生は、どうにか向き合わせたくてオリンピアンの話をしようとするんですけど、大ちゃん拒んだそうです。
独特の立ち入れない領域、とは原真子さんの大輔評。
これもそうなのかな?と思いました。


そんな時、MOIで「Nocturne」を初披露するんですね。
勧めたのが歌子先生というのもいいですね。

 
 

 
  

この時の動画がアップされていました。
動画主様、ありがとうございます。お借りします。





http://www.youtube.com/watch?v=n3UpzkDTX_0




気持ちよく滑る大輔。
衣装は、アランフェスだけど、スケーティングの美しいこと。
氷上のトレースで十分わかります。

この時の動画は、どうもこれだけらしいのです。

今だったら、地上波、BS、CSと何度でも放送してくれるのにね。
動画主様、よくぞ撮っておられたな、と感謝です!




「スケートが楽しいって見直せた」



曲を自選して、振付も自分がしたという「Nocturne」
きっと、心から表現したいものをしたのではないでしょうか。
歌子先生、素敵な提案をされたものです。
ここら辺の心のくみ取り方が、すばらしいなあと思いました。
やる気の出ない大ちゃん。
指導者としては歯がゆかったと思います。
話も聞いてもらえないし、はて・・・
というところで、本人にプログラムを曲から振付まで任せちゃうんだから。
私だったら、ハラハラして心配しすぎになりそう(;´Д`)ノ
でも、歌子先生のことだから、やめるにしても最後に気持ちよく滑ってらっしゃいぐらいの気持ちで構えてみていたのかもしれません。
これは、私の想像ですよ。
おかげさまで、大ちゃんは初めてぐらいに、スケートの楽しさに改めて気づくことができたんです。


 


  
  






この後に大ちゃんは、4CC2005に出て3位になりますが、世界選手権では15位。
一緒に出場した本田武史くんが負傷したとはいえ踏ん張って枠に貢献できず、トリノオリンピックの男子出場枠は1枠になりました。



そして、

「『絶対、トリノオリンピックに行きたい』と気合を入れ直し、練習に強い気持ちで向き合えるように変わりました」


強い気持ち。
今、オリンピックで活躍する選手からもよく聞きます。
大ちゃんは、自分のふがいなさから、オレがオリンピックに行ってこの借りを返す、つまり、優勝してくる、と思ったのかもしれません。











辛い気持ち。
楽しい気持ち。
強い気持ち。




「ここのリンクはスケーターとして、人としていろいろと学べた場所だった」






臨スポは、本当に大ちゃんにとって、大事な大事な場所だったということがわかりました。

そんな臨スポ。

未来の偉大なスケーターのためにも残したいです。
その話になる3回目は、また、明日。

記事より、一日遅れ、というところが私らしいですね(^_^;)





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