エクストラコールドの記事の中で、女性の司会者から「赤もお似合いですし」と言われた大ちゃん。
さらりと「そうですね」と受け流した話はしましたが、その時に、赤い衣装の大ちゃんを貼り付けました。

リプレイすると


 

 

 

 

でしたが、もう一つありました。



 

世界ジュニア2002の時の大ちゃんです。
SP「West Side Story」です。


この時、リンクサイドにいた先生は2人でした。



 

右の方は、ご存じ歌子先生。
左の方は、林祐輔先生です。


今回は、この、林祐輔先生の記事が大阪日日新聞にありました。








フィギュアスケート企画 三人四脚

http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/skate/120517/20120517044.html

 大阪府高石市にある府立臨海スポーツセンターで、未来のフィギュアスケーターを育てる林祐輔コーチ。かつて、バンクーバー五輪銅メダリストの高橋大輔を育てた実績がある。現在はこれからの日本のフィギュア界を担う期待の新星、田中刑事(岡山理科大付高3年)と友滝佳子(同2年)を指導し、“三人四脚”で大阪から世界を目指す。厳しい練習を積み重ねる3人にスポットを当て、5回にわたって紹介する。  (ライター 黒尾順子)



林祐輔コーチ 世界の才能育む「信頼」

 節目やターニングポイントは後から気付くもの。林祐輔コーチのそれは小学校6年生、12歳のときだった。通っていたスイミングスクールの隣にあったリンク(甲子園阪神パーク)にたまたま足を運んだ。それをきっかけに面白くなり始め、高槻のリンクに足を伸ばすまでにはそう時間は掛からなかった。

 待っていたのは現・高橋大輔のコーチ長光歌子との出会い。「この先生に習いたい」と強く思い、「長光先生の元につくのは自然な流れだった」と言う。「いきなり、スケーティングの基礎からたたき直された。長光先生には『フィギュアスケートとはスケーティング』という信念があり、スケートの本質を徹底的に教えてくれた。そのことは今のコーチ生活にとても役に立っています」

 フィギュアスケートのコーチになったのは2000年、22歳のとき。最初に受け持ったのが高橋大輔だった。「実は、大輔とは現役時代に半年くらい一緒に練習していたことがあって」先輩後輩の間柄がそのまま師弟関係に発展した。「選手時代のわたしから見ても当時の大輔にはきらりと光るものがあった」と当時を思い出す。

 天賦の才を持つ高橋大輔のコーチになったことも、一つの転機になった。「大輔をコーチしていたときの思い出はやはり世界ジュニアのときのこと。予選をノーミスで滑り、ショートでトップになって、これはもう狙うしかないと。大輔を教えていたという事実は自信になった。それが今につながっています」

 現在は大阪・臨海スポーツセンターのリンクで田中刑事と友滝佳子をはじめ、多くの生徒を指導している。「コーチをしていて一番うれしかったのは、スケートが嫌いになってしまったという子どもが、わたしの指導で『スケートは楽しい』と思い直してくれたこと。勝つことだけが全てではない、コーチとしての本分を感じた」と自信も深まった。

 試合中はどんと構えて微動だにしない。「それも長光先生に教わった。演技中、選手がどんな失敗をしても絶対に顔色を変えてはいけないと。だから、いいときも悪いときも全てを受け止めるつもりで立っています」とリンクを見つめる。

 師から受け継いだコーチ道はそれだけではない。長光歌子が高橋大輔と築きあげた絶対的な信頼関係を、田中刑事、友滝佳子とつくりあげようとしている。

 【プロフィル】林祐輔(はやし・ゆうすけ)1977年生まれ、34歳、兵庫県尼崎市出身、龍谷大卒、大阪府立臨海スポーツセンター・インストラクター、日本フィギュアスケーティングインストラクター協会・ディレクターズスタッフ











大ちゃんが知事を表敬訪問した際に、府立臨海スポーツセンターの存続をお願いしていました。
その臨海スポーツセンターで現在、田中刑事くんを教えている林先生は、大ちゃんを教えたこともあります。
ある方のブログによると、世界ジュニアの時の林先生は24歳。どおりでお若い。
・・・て今もお若いんですけどね(^^ゞ



「いきなり、スケーティングの基礎からたたき直された。
長光先生には『フィギュアスケートとはスケーティング』という信念があり、スケートの本質を徹底的に教えてくれた。
そのことは今のコーチ生活にとても役に立っています」




ああ、大ちゃんを見ているとわかります。
あらためて言うのも何ですが、やはり、フィギュアスケートはスケーティングなんですね。
この長光先生の教えを林先生も大事にされている、と言うことが実は、動画を見るとよくわかります。



「大輔を教えていたという事実は自信になった。それが今につながっています」


きらりと光るもののあった大ちゃん。
世界ジュニアのSPで1位になり、いける、と踏んだ先生。
きっと先生たちの教えを、リンクの上でのびのびと披露したのでしょうね。
そして、ジュニア日本人初の優勝。
大ちゃんは、びっくりしたようだけど、先生にとっては自信になったのですね。
自分たちの教えは間違ってなかった。
やることをやってしっかりと評価が付いた、ということですから。


「勝つことだけが全てではない、コーチとしての本分を感じた」


試合中はどんと構えて微動だにしない。
「それも長光先生に教わった。演技中、選手がどんな失敗をしても絶対に顔色を変えてはいけないと。だから、いいときも悪いときも全てを受け止めるつもりで立っています」
とリンクを見つめる。




前に、城田先生のコラムに歌子先生が登場された時のことを思い出しました。
歌子先生のフィギュアスケートを通しての人間教育。
「いいときも悪いときも(選手の)全てを受け止めるつもり」
と述べる林先生。
選手に対する深い愛情と同時に歌子先生と同じような人間教育の根本を感じました。
林先生も素敵な先生です。




林先生、選手のことだけでなく、たぶん、臨海スポーツセンターのことも気がかりだと思います。
でも、
心配なことがあっても、きっと、選手の前では、どんと構えていらっしゃる気がします。



こんな素敵な先生のいる臨海スポーツセンター、是非、存続して欲しいです。











世界ジュニア2002の時のキスクラ。
ここまでの1位になって、みんなで喜んでいます。
「ゆたかの部屋」でおなじみの樋口豊先生もご一緒でしたね。