前記事に貼り付けようと思っていたのですが、大ちゃんで満たされてしまったので、別にしました。





羽生、初出場で銅!びっくり自己ベスト

http://www.sanspo.com/sports/news/20120401/fig12040105030005-n2.html


「どうだ!」とばかりに右手を振り上げてフィニッシュ。観客のスタンディングオベーションに応えた羽生の目から、涙が流れ落ちた。

 「ハッピーエンドになれてよかった。やっと被災地の思いを受け止められたと、実感がわいてきたんです」

 自己ベストの173・99点。合計でもSPの出遅れを取り戻す自己ベストの251・06点をマークした。「絶対に無理だと思っていた得点。驚いて涙が止まった」と満面の笑みだった。

 2002年長野大会で銅を獲得した本田武史の20歳11カ月を大きく上回る日本人最年少メダル。「ユヅル・アニュー」とフランス語で紹介された表彰式では氷上を何度も跳ねて喜びを表現した。

 東日本大震災で仙台市内の自宅が全壊し、避難所生活の苦労などを乗り越えて、たどり着いた初の世界選手権だった。

 「被災地に元気をではなく、逆に元気をもらっている立場であることを大会前に受け入れられたので、最後まで滑り切れたんだと思う」

 多くの人に応援されていることを支えに、転倒を「ちょっと休めたと前向きに考えられた」。すでに来季へ向けて新たな4回転ジャンプに取り組み、さらに輝くメダルへの準備を進めている。

 「みんなで前を向いて、目標をもって進んでいこうと伝えたい」。心に秘めていた被災地へのメッセージは、十分に伝わったはずだ。(櫃間訓)















高橋銀!羽生銅!W表彰台/フィギュア

http://www.nikkansports.com/sports/news/p-sp-tp0-20120401-926753.html

 初出場の羽生結弦(17=東北高)が日本男子最年少で表彰台に上がった。SP7位からのフリーは自己ベストを大幅に更新する173・99点で、総合251・06点の3位となった。仙台出身で、昨年の東日本大震災では避難所生活も体験。苦難を乗り越えた大舞台で、こん身の滑りをみせた。SP3位の高橋大輔(26=関大大学院)は2位で、日本男子の複数メダル獲得は史上初となった。パトリック・チャン(カナダ)が2連覇を果たし、小塚崇彦(23)は11位に終わった。

 震えていた。右拳を大きく振り上げ、眼光鋭く前を見つめた。肩で息をしながら、思わず目頭が熱くなった。「ありがとうございます」。観客に、そしてエールを送ってくれた遠く日本の人々へ。羽生の額から滴る汗に、涙が混じった。

 羽生 被災地の方々の応援を自分の中でしっかり受け止めた。

 冒頭で、完璧な4回転トーループを着氷。波に乗った。途中のステップで転倒するアクシデントがあったが「逆に休めたと前向きにとらえた」。続く3回転半-3回転の連続ジャンプを決め、ミスを最小限に抑える。途中では、興奮に思わず雄たけびを上げた。

 仙台市出身。昨年の東日本大震災では練習中に被害に遭い、スケート靴が脱げずにリンクにひざをついて逃げた。4日間は家族4人が避難所暮らし。畳1畳に毛布1枚の生活も味わった。その後は復興支援のショーに60以上も出演。「被災地代表みたいに何でも取り上げられるのが嫌だった」時期もあったという。

 転機は1月。もらっていた500通のファンレターすべてに返事を書いた。「勇気を伝えようとしていた僕が、本当は支えられていたんだな」。1文字1文字をかみしめた。「自分が出せるのは結果。被災地代表として日本が頑張っているというアピールをしたい」。そう言っていた通りの演技を、大舞台で披露した。

 02年大会で20歳で3位に入った本田武史の日本男子最年少メダル記録を大幅に塗り替えた。2年後のソチ五輪に向け、初の10代メダリストは伸びしろ十分だ。「(4回転)サルコーも練習しているので、来季は入れられるように」と飛躍を誓う。

 演技中の鬼気迫る表情に、表彰台でみせたあどけない笑顔も魅力の新星。「最後はハッピーエンドになったかな」。これから、もっと多くの“ハッピー”を応援してくれる人たちに届けるだろう。【阿部健吾】








実は、
ゆづの演技の時、もうハラハラしながら観ていたんです。
あの転倒。
気合いが入りまくって演技していたから、このまま行くか!
というところだったでしょう。
夜中なのに、叫びました。
最後の3Sを跳んで、フィニッシュしたときは、泣いちゃいました。
よく頑張った! 踏ん張った!



点数を見たら仰天だったので、私も涙が止まっちゃった。








なのに、夕方、この記事を見たらまた、泣いてしまいました。



 転機は1月。もらっていた500通のファンレターすべてに返事を書いた。「勇気を伝えようとしていた僕が、本当は支えられていたんだな」。1文字1文字をかみしめた。「自分が出せるのは結果。被災地代表として日本が頑張っているというアピールをしたい」。そう言っていた通りの演技を、大舞台で披露した。



ゆづの返事、届きました、私にも。



私のほうこそ、ゆづの演技に、ずっと惹きつけられてきたんだよ。

神戸チャリティーでも、
フレンズでも、
ファンタジー新潟でも、
ジャパンオープンでも、
メダリストでも。

ファンタジーで初披露だった「ゆづジュリ」のフルヴァージョン。
4回転で転倒して、その後も何度か失敗して。
演技が終わった時、たくさんたくさん頭を下げていました。
そんなに謝らなくていいのに・・・と、言えないので、ゆづの名前をたくさん呼びました(^○^)

あの頃から、すごく進化した「ゆづジュリ」。

なんだか、思い出したらうれしいですね。
ゆづの成長を見続けたようで。
ゆづって、娘と年齢が近いせいか、息子のように思っちゃうんです。


そんな息子から、返事をもらうなんて・・・
うれしいに決まっているじゃないですか。

手書きの文字が、よりいっそう、愛おしくなりました。








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