0からの哲学

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「世界は多くの事を誤魔化し過ぎている。」感情、理性、倫理、価値、常識、勤労・・・。きっと何かがあるはずだ。溢れた想いを此処に綴る。

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記事「0」の続き

前回(記事「0」)におきまして、

・自分の中で最も深い「感覚」こそ全ての根幹である

と、お伝えしました。



そして、前回で予告しました通り

今回、この記事「1」では、人間の感覚の根本にあるものについてお話しします。



テーマ

「感覚の基準」(図2)

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図2. 感覚の基準


「感覚の基準」とは、あらゆる感覚の傾向です。

例えば、

人間基本的には自分は死にたくないし、

人を殺そうとも思わない、

それに、お腹は空くはずです。

異なる民族間でも、これらの感覚は共通する事の方が多いでしょう。

これらの例にある単純な感覚には、いったいどのような基準があるのでしょうか。

それが今回のテーマです。



そして、結論です。

「感覚の基準」とは、

「生きる為」

の事です。



これは、ある事実から考え出しています。

今、人間が生きているという事実です。

私たちは、今まで数えきれないほどの種が滅びてきたにも関わらず、こうして生き残っています。

環境に適応してきたのです。

そう。

今生きている、人も含めた全ての生物はそれぞれが様々な環境に適応する特徴(生きる力)を持っています。

例えば、

自分の分身を数千も生む生物や、

同種同士が統率力をもつ組織的な生物、

あらゆる環境に知能をもって適応する生物などです。

しかし、滅びる原因も生物の特徴によるものです。

例えば、

強すぎる繁殖力により、周りの食糧を食べ尽くしてしまう生物や、

気温の変化に対応できず滅びる生物、

そしてもしかしたら、知能で生きる環境を制御しきれず滅びてしまう生物も・・・

つまり、現在生きている生物は様々な特徴から、生きるのに適したものが多く残ったのです。

そして今も尚、その選別が続います。



人の感覚さえも、

あらゆる環境の変化によって

「生きる為」

の成分を取捨選択されているのです。



そして、死なないための、「生きる為」は人の感覚の中に根強く残り続けます。



ここで図2の説明です。

白い線は感覚の方向性を表しています。

人の感覚にも方向性があり、様々な感覚がありますが、

大まかには、「生きる為」の方向に向いており、

それが「感覚の基準」であるというイメージです。



人には様々な感覚があります。

そしてそれは、大抵は生きるための方向を向いています。

しかしながら、

生きる方向とは違う感覚を信じる人も多くいるのです。

ルール、常識、宗教、理論、哲学、正論、倫理など等・・・

目的は人が生きるためであるのに、これらを守り通す事が真実だと言わんばかりに。

理性が強すぎて、抽象的なものを感じ取れなくなっている人が多いのです。

そんな事、人が言葉も持たない頃はきっとほとんどなかったでしょう。

本能に生きれば自ら死ぬ事はありませんから。



前回、これらには「想い」が込められている程に意味があるとお伝えしました。

ですが、前回と違った言い方をするならば、



世の中にある、

ルール、常識、宗教、理論、哲学、正論、倫理・・・

とは、

人が『生きる為』にあるほどに

想いが込められ、

そして意味をもつ

と、なります。



さて、ここで少し補足をすると、「生きるため」とはなにも自分一人が生きるという意味ではありません。

生きるためとは・・・

「種の存続」

の事です。

この事は記事「2」でさらに詳しく述べます。



最後になります。

私の書いている事についてです。

殆どはオリジナルであり、自分の頭から捻り出したものだと思っています。

進化論が基準になっているように思えますが、何分抽象的ですので、宗教に近いのかもしれません。

ですが、今の世の中にないものを書いているつもりです。

そして、自殺願望者や人生に疲れた人を応援するために、記事を書いている訳でもありません。

もう少ししたらお話ししますが、私が記事を書くのには目的があります。

それは、確かに人の為でもありますが、

結局は

自分の感覚の基準である

「生きる為」

である事だけは間違いありません。





では次回は、記事「2」

「種の存続」

です。

ありがとうございました。