それは、ある歌手にブーイングした人に、なぜブーイングしたのかと訊ねたら、「声が嫌いだからブーイングした」と言われたことです。

私はその歌手の能力や芸術性を心から尊敬していましたので、好き嫌いで抗議の声をあげるという行動には納得できず、それ以上の会話は止めました。

人間ですから、ある程度の好き嫌いはしょうがないと思いますが、私にはない感覚でした。

それにしても、あんなに「酷い!」と思ったこともありません。

いま、放送の原稿のことを考えていて、突然思い出したひとこまでした。

「芸術性(歌唱力)」

私が最も重視する点です。

俳優さんでいえば、「演技力」なのでしょう。

でも、この点をはっきりさせておきたいのですが、そのブーイングした人の行動を観て、私は「自分にとって何が一番大切なのか」を改めて考えました。だから、受けとめるべき現象ではあったのでした。

しかし、いま、それに対する驚きや怒りが蘇るかというと、そうではなく、悲しみが広がるのみです。

その悲しみは、自分が出来る限り長生きして、良いと思ったものを良いと発言し続けることで徐々に薄らぐのだと思います。

オペラに関して「良くない」と思っていたものが「良い」に変わることは時々ありましたが - 例えば、レハールの《メリー・ウィドー》への関心の度合いなど - 「良い」と思ったものを「良くない」と思い直すことは今まで一度もありませんでした。

一つの分野に長く触れていると、好きなものは増える一方です。

そのことも、世間の方のいろんな言葉を聴きながら、気づいた点なのでした。




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