4月28日(日)の公演を観に行きました。

なかで一か所、自然と涙が流れた箇所がありました。

思いもよらぬページにおいて。

その理由はただ一つ、「この上ない抒情性」が突然に表出したからです。

チェネレントラと王子の出会いのシーンにおいて、ある1小節の間合いが素晴らしく、そこで涙がこぼれたのです。

王子の言葉とチェネレントラの応答・・・そのとても短い言葉のやり取りを伝える歌声に、二人の思いの量が、静かに凝縮されていました。ひと目惚れってあるなと納得もしました。

そして、このやりとりの間合いを支えたのが、指揮者の見事な采配ぶりでした。

この日の公演では、シンフォニアから第1幕の前半ぐらいまで、指揮者さんは少し遅めのテンポを貫いておられました。

「オーケストラに余裕を持たせたいから?歌手の早口が大変だから?」などと注意深く耳を傾けていましたが、その、「出会いの1小節」あとのたっぷりとした間合いを聴いて納得がゆきました。「この間合いが不自然にならないように、前のところもゆったりと振っていたのかな?」と思えたからです。

良い演奏を聴くと、耳よりも先に、全身が反応します。背中が震えたり、目頭が熱くなったり。身体は正直なものです。

さて、当該箇所ですが、クリティカル・エディションのヴォーカル・スコアなら96頁、小節番号47のフェルマータ。普通に手に入るヴォーカル・スコアなら、61頁の上から3段目の最後の小節のフェルマータです。

オペラは楽譜が生み出すものです。

だからこそ、その楽譜の意味を悟った人たちが上演してくれたなら、たった1小節でも、類例のない効果を及ぼすことがあるのです。

《ラ・チェネレントラ》は、何十回と観て聴いてきましたが、それでも、上記のフェルマータをそこまで活かしてくれたのは、この時が初めてでした。

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北陸地方の震災の義援金について、新しいお知らせが出ていました。

https://www.jrc.or.jp/domestic_rescue/2024notoearthquake.html

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WCARS(一般社団法人国際総合芸術研究会)のブログです。ご参考まで。
https://ameblo.jp/2022wcars/