物心ついたころから、ずっと、石井好子さんのエッセイを読んでいました。
本当に、小学一年生から読んでいたと思います。

ある章で「とまとはむぽてと」というタイトルがありました。トマト・ハム・ポテトの話題が並んでいます。

でも、私は20歳過ぎまでずっと、「とまとは、ムポテト」と勘違いしていました。
なぜ、トマトがムポテトなのだろうか?と思っていたのです。フランスでもトマトはtomate(これでトマトと発音)だと、辞書も引いて分かっているのに、それでも勘違いは続きました。自分でも、びっくりするほど馬鹿と思いますし、突然、真相を把握出来たときは、思わず吹き出してしまったものです。

パリで、石井さんが住んでおられたアパルトマンの前に行き、現地の友達に記念撮影してもらったこともありました。メトロが地上に出ているエリアの駅から割と近く。

1950年代、石井さんは、マダム・カメンスキーの部屋に下宿しておられました。カメンスキー夫人は旦那さんが高名なロシアのヴァイオリニスト。

「布巾は何枚使っても良いから、洗ったお皿は乾いた布巾で必ず拭いてね」

「戦争中はバターが無くて、豚肉の脂身を取っておいてオムレツに使ったりしたの」

「美味しい肉はレ・アル Les Halles で」
*Les Hallesは中央市場でしたが、取り壊されて、いまはショッピングセンターが建っています。

マダムのそんな言葉が石井さんのエッセイに散りばめられていて、50年以上たった今でも思い出します。砂原美智子さんの名前も、そのエッセイで知りました。小学生低学年の頃、マリア・カラスの名と同時期に覚えた名ソプラノの名前です。

石井さんには、私がオペラ研究家になってから一度、仕事のことで連絡を取らせて頂いたことがあります。「お読み頂いて本当に有難うございます。嬉しいです」とメッセージを頂きました。

その後、御礼も兼ねて、巴里祭というコンサートに伺いました。いろんなジャンルの人が出て来てシャンソンを歌うフェスティヴァルですが、私が聴いた年は、ローリー寺西さん(今の芸名はRolly) が抜群に味わいがありました。今でも、ローリーさんのシャンソンをもう一度聴きたいとしきりに思います。

知らなかった映像ですが、一つご紹介。



ところで・・・石井さんのエッセイで一番影響を受けたのは、「連載の最終回の締めの文章」です。

「これで連載は終わり」とは書かれずに、「明日も歩いてゆこう」といった調子の、希望や新しい展開を感じさせる一文で締め括られていました。

その考え方に心動かされ、自分でも意識するようになりました。

検索してみたら石井さんのいろんな映像が出てきましたので、もう一つご紹介してみます。



ちなみに、知らなかったのですが、〈クラリネットを壊しちゃった〉という有名な曲は、石井さんの日本語訳詞で歌われているのだそうです。

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北陸地方の震災の義援金について、新しいお知らせが出ていました。

https://www.jrc.or.jp/domestic_rescue/2024notoearthquake.html

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WCARS(一般社団法人国際総合芸術研究会)のブログです。ご参考まで。
https://ameblo.jp/2022wcars/