イングランド国教会の宗教音楽の中で細々と伝えられてきた声種ですので、敬意を表して「英語読み」。Countertenorをカウンターテノールとは呼ばない理由です。

モンテヴェルディの《オルフェオ》といえば、オペラ史黎明期の大傑作であり、オペラ史全体を見渡しても傑作中の傑作ですが、この《オルフェオ》の世界初演時には、たぶん、カウンターテナーもカストラートも参加していたと思われます(「今日、マントヴァにカストラート到着」などといった書簡類が残っている)。

17世紀初頭、オペラの主役はテノールかソプラノで、カストラートもカウンターテナーも脇役に甘んじていました。牧人3とか牧人4といった役柄で使われていたのです。

でも、そのうちにカストラートの人気が大爆発。

同じモンテヴェルディでも《ポッペアの戴冠》では皇帝ネローネや将軍オッターヴィオの役をカストラートが初演しました。テノールは脇役どまりです。

こんな風に、時代の変遷で扱いが変わるのです。

でも、19世紀初めにカストラートはオペラの舞台から姿を消す。ナポレオンの意向で。

その後、ブリテンがカウンターテナーの為にオペラの役を書いたことで、現代オペラでもしばしば、カウンターテナーの声が使われるようになりました。

栄枯盛衰というか、時代によっていろんな扱いを受けてきたカウンタテナー。カストラート全盛期のころは、蔑視されていた声種とも言われています。

でも、今では日本でもカウンターテナーの名手の数が激増。

私が生まれて初めて、生のカウンターテナーの声に触れたのは、関西二期会が上演したブリテンの《夏の夜の夢》です。

「なんと変わった声?不思議?変?・・・」

いろんな思いが頭を駆け巡りました。

その後、ブライアン・アサワという名手(日系アメリカ人)が出てから、この声種に柔らかさを湛えた歌い手が激増。

本当に「激増」というぐらいに増えました。

誰か名人が一人でも出ると、芸術界にはそのあとに続く人がいきなりたくさん出てくるのです。

モンゴルから名バリトン、エンクバートさんが出たことで、モンゴル人歌手に注目が少しずつ集まっているように。

いろんな声にいろんな光があたることで、オペラ界の表現の幅がより一層広がればとも思います。


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北陸地方の震災の義援金について、新しいお知らせが出ていました。

https://www.jrc.or.jp/domestic_rescue/2024notoearthquake.html

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WCARS(一般社団法人国際総合芸術研究会)のブログです。ご参考まで。
https://ameblo.jp/2022wcars/