異常な状況に置かれた結果、尋常ならざる精神状態のもと、糸がぷつんと切れてしまうことがあります(オペラの物語において)。

私が今まで実演で目を見張ったのは、ディアナ・ダムラウでした。

声音を完全に変えて、ある超高音を出しました。ライヴ。

その数日後、インタヴューさせて頂きました。勿論その話を持ち出しました。

「あの音の出し方で、彼女の発狂が始まったことが分かりました」

そんな風に短くお伝えしましたが、ダムラウさんはこちらの発言をよく理解されたようでした。

同じ個所で、他のソプラノならどういう解釈をしているか?そういうのを、聴き比べることもあります。自宅で。

ただ、そういうポイントはすべて「解釈」なので、人によって受けとめ方が違います。私の感覚とは違うイメージを持たれる方もいらっしゃって当然ですし、ダムラウさん自身の感覚とは異なる解釈をするソプラノさんも、いるはずです。

違うオペラでの話ですが、マリア・グレギーナさんが絶叫するシーンがあり、それにも度肝を抜かれたことがありました。こちらは録音もされています。

ある一音、たった一音でも、そんな風に「自分の解釈」を確立させられるのが、優れたオペラ歌手の強みです。

全然違うオペラの録音で、マリア・カラスが「ぼそっと放ったワンフレーズ」に目を剥いたこともあります。何十年も前に初めて聴いたときの驚きは忘れられません。それが彼女一流の解釈でした。

これまた全然違うオペラで、レナータ・スコットが出した超高音の尖った感じにへーなるほど、と思ったことも。昔のスコットならもっとすっきりと出せた超高音が、出産後の彼女にとっては難しく、きつい感じの響きになったようでした。

それを咎める人がいました。雑誌記者か何の立場だか?20年以上も前のことなので、よく覚えていません。

「でも、あの超高音は、楽譜に無いのを解釈の一例として出しているわけですよ。綺麗に出せたらお客さんはその音に喜ぶでしょうが、彼女は解釈の一環として出しているから、尖っていようが何だろうが、『出すことに意義がある』わけですよ。喜びの頂点として出しているわけで。喜びの頂点の象徴である超高音が余裕綽々で響くのもどうかと思いますよ」

そんな風にお伝えしたかな・・・

一音たりとも、逃さず聴きとりたい。また、そういう風にさせてくれるのが、名歌手の証かなとも思います。


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WCARS(一般社団法人国際総合芸術研究会)のブログです。ご参考まで。
https://ameblo.jp/2022wcars/