一年に1回か2回、このタイトル通りのご質問が出ます。

割り合いに若い世代からのご質問が多いです。

まず返答するのは次の一言です。

「オペラ研究家に向けて、音楽評論家という職業に関してご質問頂いても、よく分からないんですね」

すると、どうしてですか?と再度問われることがあります。

「音楽評論家になったことがないんです。オペラ研究家はオペラのことしか分からないですしね」

とお答えするのですが、今日、すごく面白かったのは、

「なぜ、オペラ研究家はオペラのことしか分からないのでしょうか?」

といった重ねてのご質問でした。

そうですね・・・と口にしながら思わず吹き出しました。質問者の方も笑っておられます。周囲の方もつられて笑う。

「研究家と名乗っていると、分からないポイントが出てきた場合、分かるまで研究するわけですね。また、研究時間がどれくらいあるか、それをある程度予想しないと仕事としては成立が難しいのです。死ぬまで分からないこともあると思いますが。自分は、オペラのことについて朝から晩まで考えていたいので、オペラ研究家なんです」

だから、それ以外のことは分からないんですね。

重ねて、そう申し上げました。

今回のご質問は、今週の木曜日に開催される、オンライン&対面の講演会(朝日カルチャー新宿センターさんにて)の受講者の方から事前に出たものでした。

「死ぬまで分からないこともある、ってどんなことですか?」

ご質問者は本当に、真剣に、でもフランクに訊いてくださいました。

「そうですね・・・ヴェルディのオペラで《(Les Vêpres siciliennes》という大作があります。この作品の楽譜の細部に観られるポイントの幾つかが、理由が分からないんですね。私が直にお話しした中でも、フィリップ・ゴセット先生がしみじみとため息をつかれていたことを思い出します」

それがどういう点かを細かくお話しすることは出来ないんですが - 楽譜を前にして話さないといけないので - 大まかに言うならば、「なぜその音があるのか?」というポイントが主なクエスチョンになります。

「~~からかもしれない」とは言えるんですが・・・

といったお話をしていました。

「新資料が出ればわかるかもしれないんですよ。どこかの倉庫に埋もれていた書きかけの楽譜とか」

そんな風にもお話をしました。

「《カルメン》に〈ハバネラ〉を盛り込むために、もともとあったアリアが外された件も、20世紀末になって楽譜が出てきて、状況が判明しました。出版社の書庫から突然出てきたんです。そんな風に、新資料がいつか発掘されれば、分かることも増えるでしょうね」

「同じビゼーの《真珠とり》を改稿した人は、まあ、多分、ゴダールだろうと言われていますが、その理由は、ある一部分についてはゴダールの筆と判明しているからなんですよ。だから、他の部分もそうだろうなと皆さん推測するわけです」

何で一部分だけ判明するんでしょうね?というお尋ねもありました。

「どうしてでしょうか・・・改稿者が自分だと知られたくなかったから?」

とこんな話をしていて、思い出したことがありました。12月下旬締め切りのプログラム解説内で、作曲者不明のアリアをひとつ解説しないといけないのです。

不明と言っても、十中八九〇〇〇〇さんということは分かっていますが、その『十中八九』が取れない。

しょうがないから、原稿にも「と推定されている」と書くだけです。

「音楽評論家の方は、そういう細部よりも、演奏そのものの分析に時間を割かれるのだと思いますね。だからオペラ研究家とは視点が違います」

そんな風に、和やかにお話しさせていただきました。

いろんなご質問があると、いろんなことに気付きます。

研究家には、ストレートな質問がとても有り難いのです。新しい発想の種を与えてくださるようなもので。


























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WCARS(一般社団法人国際総合芸術研究会)のブログです。ご参考まで。
https://ameblo.jp/2022wcars/