先日、《ドン・ジョヴァンニ》の楽曲解説の原稿を書いたばかりでもあり、METライブビューイングでも感動したし・・・ということで、朗唱部(recitativo)と曲の繋ぎ目について楽譜を読み直してみました。

朗唱(朗唱部)と曲がはっきり分かれるといえば、前期ロマン派までの曲作りと考えたいですね。ロマン派の後の方になっても、マスネの《マノン》のように擬古調で曲を作っている場合もありますが、それは例外的なもの。

《ドン・ジョヴァンニ》の中には、朗唱部の終わりに attaca subito(休まずにすぐ行け)と指示してある箇所があります。朗唱から曲に間髪入れずに移れということです。もし、指揮者や演出家がこの箇所でわざと間を置いたりしたなら、それは楽譜に反する行為になりますし、あえて逆らうのなら、その理由がたちどころに分かるような視覚的、聴覚的説明が要るわけです。

また、朗唱部から曲に移るところに何も指示がない箇所もあります。となると、演奏者が自分で考えて良いということです。すぱっと移っても良いし、ちょっと間をおいても良い。その場合、判断の理由がたちどころに分かるような視覚的、聴覚的要素が受け留められたら、説得力が生じますね。

ちなみに、曲から朗唱部に移る場合は、特段の指定が無い限り、曲を歌い終わったら拍手が出るから、結果、自然と間合いが置かれることにはなります。

などとスコアを読み直していたら、一か所、面白いところが出てきました。《ドン・ジョヴァンニ》のある一曲に速度指定がAllegroでなされているのですが、校訂者がそこに註を付けていて「この指示は、手稿譜に誰かが書き加えたもの」とあります。つまりは、モーツァルト自身の筆跡とは明らかに異なる字で「Allegro」と書いてあったわけです。そういう場合、この指示に従うかどうかは指揮者さんの考え次第になるわけです。

なお、Recitativoを普通にカナ書きすればレチタティーヴォでしょうが、たまにレシタティーボと書く人がいます。スペイン語話者?と思ってしまいます。逆に、こういうところがはっきりしていて正確だと、信頼がおけます。

ちなみに、朗唱部(レチタティーヴォ)がしっかり入るオペラを歌っていると、歌手の中音域が広がります(響きがよく発達します)。レチタティーヴォで高音域や低音域が出ることはそうそうない。あったとしたら特別な表現のための高音や低音になります。流れるような節回しを楽しみたいのなら、《ドン・ジョヴァンニ》なら第2幕冒頭の男声二重唱に注目してみてください。主従が二人で早口で歌いまくります。ドン・ジョヴァンニは従者を言いくるめたくて早口になり、レポレッロの側は一刻も早く主人とおさらばしたいから余計に早口になります。その「絡み合い」が本当に可笑しく、面白いです。

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WCARS(一般社団法人国際総合芸術研究会)のブログです。ご参考まで。
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