フォーレの処女作であるという歌曲〈蝶と花 Le Papillon et la fleur〉。

確か、16歳の時の作品です。歌詞はユゴー作。

パソコンでもスマートフォンでも、いちど、この曲題で検索してみてください。

膨大な数の動画が出てくるでしょう。

私は、この歌曲に関しては、自分でも何度か伴奏をしたことがあって、特別に深い愛情を抱いていますが、自分が最も敬愛する解釈(つまり実演)は、巷に溢れる動画の中には入っていません。

でも、数々の動画を眺めていると(聴いていると)、曲へのアプローチにはいろいろなやり方があるな・・・と実感させてくれます。声によって、調性の選び方も違うし。

ここで幾つか紹介してみたいのですが、それも難しい。なぜならば、著作権がどこまでクリヤになっているのか?それが分からないからです。

そのうえで、このブログをご覧になった方のために、いくつかの、考え方のポイントを挙げておきたいと思います。

「ジェフ・コーエンのピアノはさすが。軽やかなのに、急いでいる感が全くしない」
「フランソワ・ルルーの声だと、歌詞が本当に聴きとり易く、歌い回しが深く響く。声が痩せているから、若々しさよりは枯淡の境地に向かっているけれど、それでも、解釈としては超一級だろう」
「ヴェロニク・ジャンスの声もしっとり響いていて、歌いぶりがゆったりしていて素晴らしい」
「サザーランドの解釈は、発音も含めて、思った以上に正統派。途中、もったりし過ぎなのが惜しいけれど」
「キーンリイサイドがこの曲を歌っているとは思わなかった!声の色を一所懸命変えようとしているのが良い」

こういった賛辞が頭の中で繰り返される一方で、

「この大ソプラノの歌は、なぜ、こんなに急ぐんだろう?駆けっこみたいに歌う理由は何なのか?そう歌って一体何になる?でも、彼女の知名度ゆえに、この解釈が良いと考える人は多いんだろうな・・・知名度なんて、楽譜の前には吹き飛んでしまうのに・・・」
「このピアニストは、前奏の弾き方からして間違っている。拙速。音の粒を団子にして・・・」
「この曲をオーケストラにアレンジしようと思った人がいるとはね・・・管弦楽の響きが想像したよりは穏やかに収まっているけれど、たぶん、それは歌っているソプラノさんの功績も大きいだろう。彼女の落ち着いた歌いぶりと指揮者の采配が良く合っているし」

「cruelという言葉の意味と、そこの音運びを考えたら、このフレーズはもうちょっと強調すべきでは? 例えば、●●さん、フランス人だけれど、巻いてたよ」
(*巻いてたよ、というのは、R音を巻き舌にしていたという意味です。フランス語歌唱でも、歌詞の強調法の一環でイタリア的に巻く場合もありますが、それは最終的に歌い手自身が決めることです)

などと考えたりもします。

上にあげた文例はすべて、私の心から湧いて出た言葉をそのまま綴ったものです。

一つの楽譜から生まれる解釈は本当にさまざまですが、休符があるということは「多少なりとも間を置け」というヒントですし、低音域から高音域にいきなり移る部分に、歌詞の意味を重ねて考えてみたら、「前後する二つのパッセージで、対照の妙を示せ」という道筋も見えてきます。

対照の妙を示さねばならないのに、続けて急いで歌ってしまっては・・・

これは、フォーレではない別の大作曲家が、「楽譜の読み方」という観点から述べたことですが
「例えばリタルダンドと書いてしまうと、みな、そこを遅くし過ぎてしまう。(当該のパッセージに関しては)、指示を書いていなくても、ちょっとリタルンダンドにするのが当然なのだ」

こんな言葉も思い出しました。楽譜を解釈するとは・・・八分休符一つあるかないかで全然違うだろう。ピアノの人も、なんで切らないんですか、そこ?ペダリングで繋げてしまったら、パッセージの意味がないでしょう?

大芸術家たちに対して、偉そうに言ってしまいたくなる自分が居ます。



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