講演会で質問されたので、その場でも口頭で簡単にお答えしたうえで、「1月5日付の私のホームページの質疑応答欄に載せます」ともお知らせしました。

昔、《キス・ミー、ケイト》のDVDの解説文を依頼されたときに、これも縁だと思って相当に調べたので、そこで得た情報を簡単に纏めたのです。ちなみに、この情報は、昨年、《オン・ザ・タウン》の公演解説を書くに際して、改めて点検し直したので、まだ記憶に新しい。

そういった作業を行いながら、つくづく、「自分がフランス・オペラの専門家であって良かった」と思いました。

なぜ、ミュージカルの発祥について調べているときに、自分がフランス・オペラの専門家であって良かったと思えるのか、そこに、このテーマの鍵が潜んでいます。

舞台芸術の場合、何事も、突然変異で生まれてくるものはなく、前代の遺産を何かしら受け継いで、そこから新しく芽吹かせているのです。その流れが、ミュージカルとフランス・オペラでははっきりと繋がっているのでした。

なお、ミュージカルの専門家の方の観点と、オペラ研究家のミュージカルに対する観点は違っています。

でも、それで良いと思う。日本の古代史を日本史の専門家がじっくり考えるのと、東洋史のジャンルの研究者がじっくり考えるのとでは見方が変わってくるのと同じようなものです。

最後に、思い出したことを。

《キス・ミー、ケイト》の楽譜を読んで、映像と照らし合わせてつくづく思ったのが、「ミュージカルは移調をあまり気にしないな」ということでした。

セリフの量も膨大だから、1曲が移調されてもあまり気づかない。前の曲や後の曲の調性と合わせる必要もそれほど無いようです。

オペラで全編歌い通すものの場合、部分的に移調されたとしても、時々気持ち悪くなってしまう。調性の繋がりが悪いので。移調は作曲家に何の責任もない。実演で歌う人の要求(もしくは、指揮者の判断)で決まることです。

と、ここまで書いていて、《マイ・フェア・レディ》の日本初演に際して、江利チエミの声域がメゾソプラノもしくはアルトに近いから、相当に移調したという話を思い出しました。これは私が実際に聴いて分かったことではなく、一つの文章、そして一人の出演者さんの記憶からです。

今から30年以上も前のこと。

三井先生というヴォイストレーナーの方がおられ、合唱団で伴奏をしていた私とよくお話しさせて頂く機会がありました。

或る時、《マイ・フェア・レディ》の〈踊りあかそう〉の混声合唱譜(アレンジされたもの)の伴奏をしているとき、三井先生が休憩時に、「日本初演の時出ていたの。女中さんの役でした。〈踊りあかそう〉の途中で合いの手が入るところ、あれが私のパートの一つ。移調してあったから、私の歌う合いの手のパッセージも低くなっていてね・・・」

いま、調べてみたら、日本初演は1963年。私の生まれた年でした。

三井先生、教えて下さって有難うございました。私は、舞台関係の話は絶対に忘れないのですが、この話は久しぶりに思い出しました。