ちょうど一年前のブログに、こんなことを書きました(2018年09月08日(土)付)

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ドニゼッティの《ドン・パスクワーレ》
ヘンデルの《アリオダンテ》
ロッシーニの《アルミーダ》

いずれも、よく知られたオペラの名作であり、かつ、「当時の主流のスタイルをちょっと外して作ってある」作品です。

その「例外的な要素が盛り込まれている」点を知ると、オペラがもっと面白くなると思います。

なぜなら、イレギュラーなことをやるその背景に、異なる文化の衝突が放つ、鮮やかな火花が見えてくるからです。

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突然ですが、ここで回答を書いて置こうと思います。

まず、《ドン・パスクワーレ》については、「イタリア語のオペラながら、音楽が全く鳴らない中で、セリフを喋る部分がある(手紙の朗読)」のです。

《椿姫》でも《マクベス》でもそうですが、手紙の朗読(セリフを喋っている)でも、オーケストラがずーっと鳴っています。これが「メロドラム」という書式なのです。

でも、《ドン・パスクワーレ》にはそうでない部分がある。パリのテアトル・イタリアンで初演されたオペラだからかもしれません。パリは生のセリフ入りのオペラ(オペラ・コミック様式に代表される)ものが多いので。

なお、この「純然たる台詞の対話が入るイタリア語のオペラ」は、18世紀のパイジェッロの《ニーナ》初版、19世紀のあるナポリ語のオペラ、20世紀に入ってからのマスカーニやレオンカヴァッロの「イタリア語のオペレッタ」など、本当にごくわずかな例外に留まっています。パイジェッロの時代を超える「勇気ある反骨精神 - いつまでもおんなじことをやりたくない」も認めたいものです。

続いて、ヘンデルの《アリオダンテ》とロッシーニの《アルミーダ》には、「イタリア語のオペラながら舞曲のシーンがある」ところが珍しいのです。ヴェルディの《アイーダ》やポンキエッリの《ラ・ジョコンダ》といった「バレエ入りイタリア語オペラ」が認められるようになるのは19世紀も後半に入ってから。いずれも「フランスのグラントペラ様式に影響されて」のことなのです。

でも、《アリオダンテ》は18世紀の時点でそれをやっている。そこには、作曲者ヘンデルと親しかったバレリーナの存在がありました。あと、ロンドンで初演されたオペラ(イタリア国内ではない)ということも影響したのかもしれない。グルックの《オルフェオとエウリディーチェ》にも舞曲が結構入っていますが、それもウィーンで初演されたからなのかもしれません。

《アルミーダ》に関しては、このオペラの筋立てのもとになっているリュリの《アルミード》に影響されて、という考え方が一般的です。リュリはバレエてんこ盛りのフランス語オペラを書いていたので。

オペラの世界に「普遍化」などありません。一つ一つ違うのです。人間と一緒です。双子で癖が違うように、物語や作曲家、歌劇場、台本作家、上演地の土地柄などいろんな要素が、演目それぞれに異なる個性の輝きを与えています。それらを見出すのも観劇の面白さなのです。