Julie Dorus-Gras (1805-96)。19世紀のオペラ界に耀いた大ソプラノの一人です。
この複姓の苗字、Dorus-Gras については、現代フランス人は「ドリュス=グラ」と発音します。Grasという苗字が最後のSを発音しないので、対比の意味からか、DorusのSは発音する傾向にあるのです。

彼女はベルギー人であり、生まれたときの名前は Julie-Aimée-Josèphe Van Steenkiste
と蘭語系のものでした。しかし、苗字が長すぎたのか、フランスで活躍するならフランス風に変えたいと思ったのか、母方の苗字なのか何なのか・・・いつからかDorusと称するようになりました。ジュリーの兄ルイは有名なフルート奏者になり、彼もルイ・ドリュスという名前で今日まで知られています。

さて、このジュリー・ドリュス=グラ、パリ・オペラ座のプリマドンナとして大活躍したソプラノです。彼女が初演した有名な役どころを列挙してみます。

マイヤーベーアの《悪魔のロベール》のアリス
オベールの《ギュスターヴ3世もしくは仮面舞踏会》のオスカル
アレヴィの《ユダヤの女》の皇女ウードクシー
マイヤーベーアの《ユグノー教徒》のマルグリット・ド・ヴァロワ
ベルリオーズの《ベンヴェヌート・チェッリーニ》のテレーサ
ドニゼッティの《殉教者たち》のポリーヌ


マルグリット・ド・ヴァロワに扮した際の、余りに有名な版画。非常に美しく繊細な容貌の持ち主です。

19世紀の指揮者たちがどんな風に振っていたか、それを検証する手段には乏しいのですが、ドリュス=グラのような大歌手たちがどんなふうに歌っていたか、それは、彼ら彼女らが初演した役柄の楽譜を読むことである程度掴めるのです。ドリュス=グラを一口で言い表すなら、コロラトゥーラに秀でた名花。それなのに、アリスのような音域の低い役(今ではメゾがかったソプラノがやることが多い)から出発したというキャリアの在り方も面白いものです。

オペラ史に名高いプリマドンナとしては、珍しいぐらいに心優しかったといわれる彼女。植物によく話しかけたり、編み物を得意として手先をよく動かしていたり、声と体形を保つために生活に節制を心掛けていたり・・・そのおかげか、90歳という長命を誇りました。彼女の兄弟姉妹の孫の一人(その人から見ればドリュス=グラは大叔母さん)が、歌劇《マルーフ Mârouf, savetier du Caire》で有名な作曲家、アンリ・ラボ―であったので、このラボーの発言からもドリュス=グラの人格を知ることが出来るのです。

先月、パリで本当に久々に《ユグノー教徒》が上演されることになり、現地まで行きましたが、その際に、これまでなかなか見つけられなかったドリュス=グラの墓にも、不思議な偶然が重なる形で、ついに花を手向けることが出来ました。どうも、最近、子孫の一族が墓所を改修したようで、新しく綺麗な墓石になっていました。せっかくなので赤いバラを2本供えて。

人格者であり、素晴らしい声のテクニックを持っていたドリュス=グラ。激しい性格の共演者との間で神経をすり減らしたり、後代の無責任な小説家が彼女の人間像を悪女のように描いたり(本当に酷いことで、現代なら訴訟騒ぎになるでしょう)など、いろんな苦汁も舐めた人ですが、今日、オペラの本物の研究者たちの評価が揺らぐことはありません。繰り返しますが、彼女のために書かれた音符を読めば分かります。それは実に簡単なことなのです。

マイヤーベーア、アレヴィ、オベール、ベルリオーズそしてドニゼッティ・・・彼女は、こういった大作曲家たちと、歌劇場のリハーサル室でどんな風に言葉を交わしていたのだろうか。ベルリオーズの《ベンヴェヌート・チェッリーニ》が初演から数回だけ上演された折など、客席から怒号が飛び交うなか、どんな気持ちで歌い進めていたのか。お墓に尋ねても返事があるわけではないのですが(!)、ついつい日本語で問うてみました。

また、「ベルギーを独立に導いたオペラ公演」として歴史に名高い1830年8月25日のブリュッセルでの《ポルティシの物言えぬ娘》公演の折、舞台上で女声主役のエルヴィールを演じていた彼女。上演が進むにつれて、客席のベルギー人たちの愛国心に火がついて、暴動が勃発する様を目撃して、どんなふうに感じていたのか・・・これまた尋ねたくなるのです。

なお、上に書いた名作オペラの初演時に彼女と共演した大歌手たちの中には、奔放であったといわれる人物(自分の師匠と恋仲になったり)がいたり、同僚歌手たちを陥れてでも主演者の地位を守りたいとあがく人物(その裏では、自分に自信が無く、いつ役を降ろされるかと不安が嵩じるあまり、人目に隠れて泣き続けるということも多かったらしいのですが)もいたりしました。

そういう中で、平常心を保つべく務め、食生活等も含めて節制を心掛けた結果、実績を多く挙げ、長命も保ったドリュス=グラ。嫋々とした風情の持ち主ではあっても、人間としても、芸術家としても、とても勁い女性であったのです。だから彼女は本物。本物は死んでからも評価されるのです。


1840年頃のドリュス=グラ


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