日本の歴史を題材にした創作フラメンコ劇、というのかな・・・

昨日開催された『La Mentira ~茶々の嘘』というステージを観に、小岩の方まで出かけてきました。

出演者は舞踊班と演劇班に分かれ、演劇班はセリフをしゃべり、舞踊班はその受け答えを踊りで表現する。お互いの間合いがちょうど良くて、進行がスムーズに行きました。台本を書いた人はなかなかのアイデアマンだと思います。

物語は、石田三成と茶々(淀君)が愛し合っていたという架空のストーリーです。

戦国時代の南蛮趣味というのか、フラメンコの踊りや衣裳がドラマにすんなり乗っかって面白かった。

男女勢ぞろいの町中のシーンなど、フラメンコならではの群舞の逞しさが非常に見ごたえあり、心地よくもありました。

また、関ヶ原の戦いを男性ダンサー7名で表現したシーンなど、裏切る小早川秀秋の役の人の動きが非常に面白く、もう一度見てみたいと思えるコリオグラフィでした。

処刑される三成のソロも引き締まっていたし、物語を締めくくる茶々のソロシーンもとても雄弁。衣裳の黒や赤の色合いがドラマにもまさに即していて、女性の情念のこもった踊りが力強く、苦悩と諦念、無念の想いが凝縮したかのような、きりっとした味わいを伝えてきました。

また、緞帳の使い方も本当に見事でした。スピードからタイミングから、びしっと決まっていた。

私は舞踊の専門家ではもちろん無いのですが、《カルメン》のように、世界初演のその時からフラメンコ系の踊りを入れているオペラもあったりで、様々な舞踊スタイルへの興味は強く持っていて、なるべく拝見するようにしています。今日のこの舞台からも強い刺激を受けました。

フラメンコはスペインのロマたちのものという枠組みはちょっと横に置いておいて、様々な物語をフラメンコの踊りと音楽で表現するという新しい試みが、功を奏していたことは間違いないと思います。

オペラも、もともとイタリアで生まれたことは間違いないのですが、オペラ界の大発展は、フランス国王ルイ14世が「フランス語でオペラを作れ!」と予算を与えたことが契機の一つになっていますし、イタリアのヴェルディがフランス・オペラの手法をたくさん取り入れて自分の活路を拓いたことも忘れてはならない。文化は影響しあうのです。

だから、フラメンコも、「日本のフラメンコ」という道があってもおかしくないのでは?と思いました。私はいわゆる門外漢ではありますが、宗教ではなく芸術なのだから、どんどん枝葉が広がっても良いのではと思う。日本語オペラだってたくさん生まれているのだし。

試行錯誤の結果で生まれた良いものなら、消えずに残るでしょう。