遅ればせながらですが、
はがきハイク 第4号』が届きました。

はがきハイクとは西原天気さん発案、笠井亜子さん意匠の、おふたりの俳句が掲載されている葉書形式のハイクメディアです。

非常に洒落た意匠となっており、目にも楽しい。





それぞれの好きな句を挙げると、

はつなつの土手ぶらぶらと入籍す 天気

上五中七のふつーの「なんでもない」感が、座五によって気持ちの良い「なんでもない」感になる。


草笛の鳥打帽は叔父である 笠井亜子

"親族"の連作の中の一句。「草笛」と「鳥打帽」のなんとなくの距離感が、「叔父」と自らの距離感を反映しているようで。

読みたい方は天気さんに問い合わせるのが一番早いようです。
さとうあやかと緑道を歩こうの会に参加してきました。

参加したというか、企画者側です。
文香さんと二人でこのたび「世田谷ダイエッツ」を結成したのですが、
その活動第一弾としての企画です。

代田橋駅に集合して、
$湿度100‰
緑道をひたすら、
$湿度100‰
新宿まで歩きました。
$湿度100‰


最後に新宿西口「スカラ座」で句会をしました。

次は秋に開催です。
お楽しみに。



Bottle/Exercise/Cypher vol.7 に参加してきました。

参加とはつまり、俳句を朗読をしてきました。
おそらく参加者の中で俳句を朗読したのは僕だけだったのでは?
(違ったらごめんなさい)

参加して思ったことは、俳句は朗読に向いていないのでは、ということです。
音声→脳→解釈のサイクルが俳句に特有の「切れ」の処理に慣れていないのではないか。

うーんこれはもっと考えたい問題です。
傘[karakasa]のvol.2が手に入った。
このエントリーでは特に掲載されている俳句に絞って話をしたいと思う。

【越智友亮】
最近の友亮俳句の本領はどこにあるかというと、
それは「普段づかい」の言葉の気持ちよさにあるようだ。

由緒書きをさーっと読んで梅の花

この不要とも思える「を」こそが、
言葉を俳句たらしめる韻律を崩し、
友亮の言葉を「俳句らしく」なくする。

食べ始めて家族はしずかヒヤシンス

ここで友亮は「食べ始め家族しずかや」とはしない。
俳句らしさが必然的に伴う月並感は、
そのままスライドして快い既視感に変わる。
「ああ、あるよね」と。

空青し寒くなければ冬がよし

しかし、自分の言葉を俳句らしくなくしておいて
あくまで友亮は自分を俳句にとどまらせる。
友亮は意味を生な形で伝えることにこだわっているのだろう。
そのとき定型は拘束ではなく、道具になる。
衣を纏う様に俳句を被って、
普段づかいの言葉たちは生き生きと定型に遊ぶ。

千両も万両も赤今日も授業

【藤田哲史】

セーターすかすか脱ぐとき部屋の見ゆるかな
冷たさの鼻ふれあへり一の友


これらの2句が並んでいる一連に、驚く人は、おそらく驚く。
しかし、それは哲史が省略を心得ているから生じることであって、
なんら驚くことはない。

すかすかのセーターを脱ぐときに部屋が見える
一番の友達と冷たい鼻が触れ合う

ふつーの若者がいるだけだ。
(下、ふつーか?おいおい。まあいいや)
哲史は俳句技法を小憎たらしくもすっかり心得ていて、
現代を現代でないかのように、詠む。

苺ありプリングルスの筒もあり

だから、あからさまに現代の事物が出てくると、
僕は一瞬驚き、驚いたことを恥じる。

霜育ちゆくなり君は地元で吏

この句の「地元」と

わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる 永井祐

における「地元」は、全くの相似形であると僕は信じる。

。。。。。。。。。

俳句に絞って取り上げたが、
特集の「ライトヴァース」も、非常に有意義。
買って損なし。

購入はこちら

海へ行った、再び。

また同じ、
コンクリートで舗装された川沿いの道を歩いて、
(途中で鴨をみたりして)
歩いていくと海があった。
再び。
なにかの貝を採っているらしい人が遠くにいっぱいいて、
手を繋ぐのにちょっと気が引けた。

浜に出ると思ったより足が沈んだ。
しばらく歩くと鴎がたくさんとまっているところがあって、
だーってやる?
って聞くと
やる
って言って、やっていた。
そういえば鳩がとまっているところでもやってたな。
飛ばずに歩いて逃げるなんておかしいやん
って言っていた。
飛ぶのが面倒なんだよ
と言うと、
なんだか不満そうだった。

$湿度100‰