傘[karakasa]のvol.2が手に入った。
このエントリーでは特に掲載されている俳句に絞って話をしたいと思う。

【越智友亮】
最近の友亮俳句の本領はどこにあるかというと、
それは「普段づかい」の言葉の気持ちよさにあるようだ。

由緒書きをさーっと読んで梅の花

この不要とも思える「を」こそが、
言葉を俳句たらしめる韻律を崩し、
友亮の言葉を「俳句らしく」なくする。

食べ始めて家族はしずかヒヤシンス

ここで友亮は「食べ始め家族しずかや」とはしない。
俳句らしさが必然的に伴う月並感は、
そのままスライドして快い既視感に変わる。
「ああ、あるよね」と。

空青し寒くなければ冬がよし

しかし、自分の言葉を俳句らしくなくしておいて
あくまで友亮は自分を俳句にとどまらせる。
友亮は意味を生な形で伝えることにこだわっているのだろう。
そのとき定型は拘束ではなく、道具になる。
衣を纏う様に俳句を被って、
普段づかいの言葉たちは生き生きと定型に遊ぶ。

千両も万両も赤今日も授業

【藤田哲史】

セーターすかすか脱ぐとき部屋の見ゆるかな
冷たさの鼻ふれあへり一の友


これらの2句が並んでいる一連に、驚く人は、おそらく驚く。
しかし、それは哲史が省略を心得ているから生じることであって、
なんら驚くことはない。

すかすかのセーターを脱ぐときに部屋が見える
一番の友達と冷たい鼻が触れ合う

ふつーの若者がいるだけだ。
(下、ふつーか?おいおい。まあいいや)
哲史は俳句技法を小憎たらしくもすっかり心得ていて、
現代を現代でないかのように、詠む。

苺ありプリングルスの筒もあり

だから、あからさまに現代の事物が出てくると、
僕は一瞬驚き、驚いたことを恥じる。

霜育ちゆくなり君は地元で吏

この句の「地元」と

わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる 永井祐

における「地元」は、全くの相似形であると僕は信じる。

。。。。。。。。。

俳句に絞って取り上げたが、
特集の「ライトヴァース」も、非常に有意義。
買って損なし。

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