下田に向かう途中、上原美術館という美術館があることを知り、
寄ってみることになりました。
石段を上がると野外彫刻がありました。
2つの大きな建物が並んで建っています。
左が近代館で、右は仏教館です。
まず、近代館へ入ってみます。
ここは、大正製薬の名誉会長である上原昭二氏のコレクションを集めたものです。
次の写真は、休憩室です。
以下では、展示していた作品の一部を紹介します。
なお、以下の説明は、展示されていた絵の横の解説をもとにしていますが、
一部加筆しているところもあります。
オーギュスト・ルノワール「アルジャントゥイユの橋」(1873)
この絵は、印象派が誕生した前年の作品で、当時ルノワールは32歳でした。
またこれは、彼がモネと一緒に屋外で制作したものだそうです。
2008年に、隣でモネが描いた絵がオークションに出品されるということで、
上原昭二(以下では、“上原”と省略)は手に入れようとしましたが、
予想落札価格は1桁高く無理でした。
結局、その絵は当時の最高額43億円で落札されたそうです。
それがどんな絵か気になるところです。
そこで生成AIのcopilotに尋ねたところ、次の絵を教えてくれました。
モネ「アルジャントゥイユの橋」(1874)
フィンセント・ファン・ゴッホ「鎌で刈る人(ミレーによる)」(1880頃)
これは彼が27歳の時のもので、敬愛していたミレーの絵を模写したものだそうです。
こうした模写のほとんどは破棄されましたが、これは奇跡的に残った1枚だそうです。
ジョルジュ・ブラック「ナプキンの上の紅茶ポットとレモン」(1949)
これは、上原がスイスから取り寄せた作品でした。
しかしその後手放して、哲学者・谷川徹三の手に渡りました。
それから30年程して、上原は再び画商から購入しました。
岸田劉生「静物」(1921)
この絵がオークションに出された当日は、春の嵐が吹く荒れた天候でした。
そしてそのせいか入札者が少なく、予想より低い金額で落札できたそうです。
須田は、京大を卒業した後スペインに留学し、
画家として立つ41歳までは母校で美術史を教えていました。
そのときの学生の一人が井上靖で、後に井上は須田の「野薔薇」という作品を
愛蔵していたそうです。
実は井上は、大阪毎日新聞で美術欄を担当する美術記者になっていました。
上原は、その絵を雑誌で見て心を奪われたそうです。
そして80代になったときに、画廊からの案内状でこの「薔薇」を目にし、
須田は、1954年に絵の依頼を受けて下田を訪れます。
そしてバスで天城を越えて下田に入り、この絵を描きました。
上原は、2022年のオークションでこの作品を入手しました。
アルベール・マルケ「霧のリーヴ・ヌーヴ、マルセイユ」(1918)
この絵は、上原が長く自宅の居間に飾っていたものだそうです。
マルケは、50代のある日、セーヌ川に架かるポン・ヌフ橋の近くを歩いていて、
橋の近くで建設中のアパルトマンに惹かれて6階の一室を購入します。
しかし、第二次世界大戦が始まり、彼は妻の故郷アルジェで5年間過ごすことを
余儀なくされます。
そして終戦後この部屋に戻りますが、その翌年の冬に体調を崩して1月半ばに
手術をします。
1月31日、部屋の窓からの眺めを最後の力を振り絞って描いたのがこの作品で、
絶筆となった1つだそうです。
アンリ・ルソー「両親」(1909頃)
藤田嗣治がこの絵を愛蔵していて、パリの自宅に飾っていました。
そして、この絵の隣には父の写真を飾ってあったそうです。
モネは、ノルウェー滞在中にこの山を富士山に見立てて描いたそうです。
1919年に仕事で渡欧した黒木三次夫妻は、
たびたびジヴェルニーのモネを訪ねました。
この絵は、彼がモネから譲り受けた絵の1枚だそうです。
その時の写真が、絵の横に掲示されていました。
カミーユ・コロー「サント=カトリーヌ=レ=ザラスの洗濯場」(1871)
この絵は、関西の資産家・和田久左衛門が所蔵していたものだそうです。
ポール・ゴーギャン「森の中、サン=クルー」(1873)
彼が25歳で描いた初期の風景画で、彼の家の近くで描いたものだそうです。
この翌年、デンマーク人の女性と結婚しています。
彼は生後間もなく、一家と共にペルーに移動しますが、その途中父が亡くなります。
7歳のときにフランスに帰国し、やがて船乗り見習いとなって海軍に入ります。
23歳で再びパリに戻り、母の友人の紹介で株式仲買商として働き始めます。
この頃、趣味で絵を始めました。
しかしその後株の大暴落で職を失い、画家を目指すことにします。
貧困の中、妻は5人の子供を連れて実家のあるデンマークへ帰りましたが、
彼はパリやブルターニュで絵を描き続けます。
そして43歳のときにタヒチに旅立ち、妻の元へ帰ることはありませんでした。
この絵は、妻が生涯手元に置いていた絵だそうです。
オディロン・ルドン「読書の女」(1900頃)
細川家第16代当主の細川護立(もりたつ)が所蔵していたものです。
なお、内閣総理大臣をした細川護熙(もりひろ)は、彼の孫で、
細川家の第18代当主です。
上原はこの絵を、1922年頃フランス人の画商から購入しました。
アンリ・マティス「アネリーズの肖像」(1944)
描かれた女性は、19歳のアネリーズ・ネルクといいます。
彼女は、アムステルダムで美術を学び、そこで音楽を学ぶ学生と結婚します。
第二次世界大戦中に、夫はレジスタンス活動を支援中に亡くなってしまいます。
彼女は木版画を制作して生計を立てようとしますが、その材料もなく、
近くの名も知らぬ画家を訪ねます。
その画家が70代のマティスでした。
その後、彼は、彼女をモデルにしてたくさんの絵を描くことになります。
オーギュスト・ルノワール「横になった婦人」(1912)
これは、ルノワールが71歳の時の作品です。
この頃、彼は南仏で暮らしていましたが、
持病のリウマチがひどくなり車椅子生活でした。
絵の制作も、手に筆を巻き付けて描いたそうです。
その彼を献身的に支えたのが妻の姪のガブリエルで、
この絵は彼女を描いたものです。
この頃、梅原龍三郎がルノワールを訪問し、ガブリエルがその応対をしています。
ピエール・ボナール「雨降りのル・カネ風景」(1946)
この絵は、ボナールが亡くなる前年の79歳のときに描いたものです。
ル・カネはカンヌの近くで、彼が別荘として購入していたもので、
終の棲家となりました。
彼はここで散歩を日課として日記帳にスケッチし、
それをもとにして油彩画を描いていたそうです。
上原は、この絵を入手した後ル・カネを訪ねていますが、
何の変哲もない景色が広がるだけだったそうです。
牛島憲之「雨明かる」(1982)
この絵は、牛島の82歳のときの作品で、下田の白浜にある板戸海岸を描いています。
上原は、彼の絵に興味がなく、勧められても断っていたそうです。
ところがある日、送られてきた案内状の表紙のこの絵に目がとまり、
手に入れることにしたそうです。
この絵は、彼の母と妻の故郷・下田の風景でした。
牛島憲之は、私のお気に入りの画家の一人なので、
この絵を見たときはちょっと興奮しました。(笑)
ここは、上原昭二の義父である正吉・小枝夫妻から寄付された仏教美術を
展示する美術館です。
入ってみると、大量の仏像彫刻の群に圧倒されました。
しかし生憎、仏像には余り興味がないので、紹介はこの程度にします。
それにしても、こんな立派な美術館があるとはまったく知りませんでした。
ガイドブックに載っていないのが不思議です。
もっと知られてよい美術館だと思います。
このあと、一路下田へ向かいます。