一日目の宿泊先は、福田屋です。
実はここは、川端康成の小説「伊豆の踊子」で描かれた宿です。
川端康成は、一高に入学した翌年(1918年)の秋に、
ふと思い立って伊豆へ一人旅をします。
その時に旅芸人の一行と道連れになります。
約7年後に、その体験をもとに発表したのが「伊豆の踊子」でした。
福田屋は、その旅のときに彼が実際に宿泊した宿です。
河津駅から6㎞ほど離れた山間にあります。
私たちが福田屋に到着したのは午後5時過ぎでした。
夕食は午後6時とのことで、急いで風呂へ入ることにしました。
ここの風呂は、榧(かや)風呂で、浴槽が榧の木でできています。
榧というのは針葉樹の一種で、水や湿気に強いので風呂桶などに使われるそうです。
また、最高級の碁盤にはこの木が使われるそうです。
それほど広くなく、洗い場も一か所しかありませんが、独特の風情があります。
この宿には、露天風呂もあることを翌朝知りました。
入浴を終えて食事場所へ急ぎます。
夕食のメニューは、金目鯛の煮付け、猪鍋、カサゴの唐揚げ・・・と豪華です。
実際美味しくて全部食べてしまいました。
そのお陰で、煮付けはほんの少ししか食べることができませんでした。(苦笑)
今夜泊まる部屋は、川端康成が「思い出」と名付けた部屋です。
すでに先約があってダメでした。
どのような部屋かは、福田屋の公式HPで見ることができます。
トップページ - 福田家 (fukudaya-izu.jp)
翌朝、朝食をしっかり食べました。
その後、宿のロビーを見て回りました。
川端康成とこの宿の結びつきを示すものがいろいろ展示されています。
彼が後年宿泊したときの写真もありました。
彼がこの宿のために書いた書も展示されていました。
右の「亥」は、亥年生まれの川端康成が、
6度目の亥年の元旦に書いたものだそうです。
彼はこの4か月後に亡くなりました。
「伊豆の踊子」は、これまで6回映画化されています。
この宿は、映画のロケ地としても使われました。
第1作:1933年(松竹)田中絹代&大日方傳(無声映画)
第2作:1954年(松竹)美空ひばり&石浜朗
第3作:1960年(松竹)鰐淵晴子&津川雅彦
第4作:1963年(日活)吉永小百合&高橋英樹
第5作:1967年(東宝)内藤洋子&黒沢年男
第6作:1974年(東宝)山口百恵&三浦友和
これらの映画の写真も展示されていました。
ところで今回、「伊豆の踊子」について調べていて大きな驚きがありました。
私はこれまで、「伊豆の踊子」はフィクションだと思っていました。
旅先でたまたま遭遇した旅芸人一座を題材にして、
青春時代の出会いと別れの物語を作り上げたと思っていました。
ところが実は「伊豆の踊子」は創作ではなく、
彼が旅先で体験した事実をそのままを書いたものだったのです。
実際、「伊豆の踊子」についてのウイキペディアでは、
彼の言葉を次のように引用しています;
『「伊豆の踊子」はすべて書いた通りであつた。事実そのままで虚構はない。
あるとすれば省略だけである』
これは衝撃でした。
また一方で、非常に腑に落ちることもありました。
というのは、「伊豆の踊子」を読んだとき、
どうしてもラストの展開が腑に落ちなかったのです。
下田港での踊子との別れの重要な場面で、なぜか唐突にお婆さんが現れる場面。
また、踊子と別れた後の船の中で、なぜか唐突に受験生が登場する場面。
いずれも、物語の流れから考えてとても不自然な設定に思え、
読んでいて違和感がありました。
実際、私が見た吉永小百合と山口百恵が出演する二つの映画では、
これらの場面はありませんでした。
しかし今は、なぜラストを映画のように描かなかったのかが納得できます。
彼は、踊子との物語をありのままに書き残したかったのでしょう。
踊子との大切な思い出を一切歪めたくはなかったのだと思います。
出発前に、宿の周りを散策してみました。
彼が泊まったのは、下の写真の左上の角部屋だと思います。
実はこの写真を撮ったときは、ちょっと不自然さを感じていました。
しかし今は大いに納得できます。
踊子はこの宿に遊びに来て、川端康成と五目並べをしたのですから。
彼がこの宿に泊まったのは、11月初旬でした。
私たちが宿泊したのも11月初旬です。
彼も、このような風景を目にしていたのかもしれません。
もちろん、当時とは変わっています。
川を挟んだ対岸には、かつて共同浴場がありました。
次の写真の正面あたりでしょうか。
踊り子が真裸で彼に両手を振ったのが共同浴場からでした。
これは、「川端康成文学碑」で、1965年11月12日にその除幕式がありました。
この碑文の直筆原稿が宿に残されています。
実はこのとき、下田港からの船中で彼が出会った受験生(現在の東工大を受験)と
47年ぶりに再会しています。
当時65歳ということなので、福田屋に展示されていた上の写真で、
川端康成の横にいるのがその人かもしれません。
ところで川端康成は、踊子の兄として登場する栄吉(本名:時田かほる)と、
旅の後も文通をしていたそうで、彼からの年賀状も残っているそうです。
では、踊子(本名:加藤たみ)との交流はあったのかどうか。
とても気になるところですが、残念ながら分かりませんでした。
それはともかく、考えれば考えるほど、彼の伊豆旅行は奇跡に思えます。
なぜあの時旅に出ようと思ったのか。
なぜ行き先を伊豆に選んだのか。
なぜ旅芸人たちと出会えたのか。
なぜそこに踊子がいたのか。
まるで運命の糸に操られたかのような奇跡の連続です。
もしこれらの偶然が重ならなかったなら、
珠玉の傑作「伊豆の踊子」は生まれず、
その後の「川端康成」も生まれていなかったかも知れません。
さて、周りの散策をした後、伊豆の踊子が実在したことも知らないまま、
私たちは福田屋を出発し、小説に登場する天城峠のトンネルへ向かいます。