広島県福山市にあるふくやま美術館に行ってきました。
ここでは今、「芸術家たちの南仏」展が開催されています。

 



ふくやま美術館は、JR福山駅北口から400mほどのところにあります。

福山駅のホームに降りると、下の写真のように福山城が目の前に見えます。

 



美術館は、下の地図のように福山城のすぐ隣にあります。

 



城壁に沿って歩いて行きます。

 



福山城へ向かう階段を登ると、目の前に現れたのは伏見櫓(ふしみやぐら)です。

 


この右側に城門があるのですが、今は左へ行きます。
右奥に福山城の天守閣が見えてきました。

 


美術館はこの左手の下に見えます。

 





美術館の周りにはあちこちに彫刻が置かれています。

 



美術館の正面です。



残念ながら、館内の撮影はダメでした。
館内のあちこちに撮影のできない彫刻が置かれているためということでした。
唯一許されたのは、今回の展覧会の掲示板でした。

 



ただし、館内から外の景色を写すことはOKでした。

 




さて、今回の「芸術家たちの南仏」展は、

20世紀の画家たちが南仏の陽光の中で描いた作品を、

国内の美術館から集めて展示したものです。


残念ながらすべて撮影はダメだったので、

パンフレットからその一部だけ紹介します。
なお解説は、図録を参考にさせて頂きました。

最初の絵は、ポール・シニャックの

「サン=トロペ、グリモーの古城」(1899)です。

 



彼は、サン=トロペという漁村を気に入り、1897年にこの地に定住します。
この絵は、その2年後の作品です。
マティス、ボナール、マルケなど多くの画家が、彼に招かれてこの地を訪れ、

南仏の魅力に気付かされたそうです。

次の絵は、ポール・セザンヌです。

 


「マルセイユ湾、レスタック近郊のサンタンソ村を望む」(1877-79)


レスタックは小さな漁村で、マルセイユの北西10㎞ほどのところに位置しています。
彼は幾度も訪れて、マルセイユの湾を描いたそうです。
さて、上の絵は一目でセザンヌらしさを感じますが、
図録の解説によると、彼はこの地で自身の表現法を発見したのだそうです。


次の絵は、ラウル・デュフィの「モーツァルト」(1915)です。

 



彼は、北フランス出身であったので、

南仏は自分の表現法を模索するよい機会となったようです。
1908年にはレスタックで、ブラックと共にセザンヌ的空間を追求したそうです。


最後は、マルク・シャガールの「青い花瓶」(1978)です。

 



彼は、1966年にニースから20㎞離れたヴァンスの近隣の村

サン=ポール=ド=ヴァンスに移り住みました。
この時彼は79歳でした。
この絵の右下にこの街が描かれています。
次の写真がこの村です。

 



彼はこの地で制作を続けて7年後に亡くなりました。
そのため、彼のお墓はこの村にあるそうです。

今回の展示では、彼の作品がピカソの作品に次いでたくさん展示されていました。
ところで、マティスもヴァンスに別荘を構えて移住しています。

南仏で彼らが活動していた場所を地図で示しておきます。

(レスタックは、フランス語でL'Estaqueの表記ですが、

グーグルマップもウィキペディアも、エスタックと表記されています。)





ところで、この美術館の別室では、所蔵作品の一部が展示されていました。
その一部は撮影がOKでした。
ここでは、西洋絵画の一部を、絵に添えられていた解説をもとに紹介します。

次の絵は、モーリス・ヴラマンクの「雪の風景」です。

 



1900年にドランと知り合い、パリ郊外のシャトー島に共同のアトリエを持ちました。
この頃、ゴッホの回顧展を見て強い影響を受けたそうです。


1905年のサロン・ドートンヌでは、マティス、マルケ、ヴラマンク、

ドランの作品を集めた部屋が「野獣(フォーヴ)の檻」と呼ばれ、

以後彼らの激しいタッチの作品はフォーヴィスムと呼ばれるようになりました。


1920年代から、ヴラマンクはやや厚塗りのすばやい筆さばきで描くようになります。


次の絵は、アルベール・マルケの「停泊船、曇り空」(1922)です。

 



彼はフランスのボルドーで生まれました。
パリに出て装飾美術学校に入学しましたが、国立美術学校に移り、

ギュスターヴ・モローの教室で学びます。
そしてこの教室で、マティスやルオーと出会いました。


1905年にマティスとサン=トロペを訪れてから、

マルセイユなど南仏の港を描くようになりました。


彼は、フォーヴィスムの運動に参加しましたが、彼らのような極端な表現はせず、

落ち着いた色彩で海や街の風景を描くことを好みました。


今回の「芸術家たちの南仏」展にも、

「トゥーロン湾の眺め」という絵が一枚展示されていました。
その絵も、この絵と同じように入り江の静かな情景を描いたものでした。



次の絵は、モーリス・ユトリロの「雪のラパン・アジル」(1916頃)です。

 



彼はパリのモンマルトルで生まれました。
アルコール中毒のために入院した病院で、

対処療法として医師に勧められて絵を描き始めます。


絵はほとんど独学で、モンマルトルの風景を描きました。
晩年は年上の未亡人と結婚し、裕福な生活を送りながらパリを描き続けたそうです。


次の絵は、ギュスターヴ・クールベの「波」(1869)です。

 



彼はフランスのオルナンに生まれました。
法学を学ぶためにパリに出ますが、絵画に興味を示し、アカデミーに通いながら、

ルーヴル美術館で巨匠の作品を模写したそうです。


この絵を描いた1869年から「海の風景画」を集中的に描き、

サロンで絶賛を浴びるようになりました。


一方で、1871年にはパリ・コミューンに参加します。
しかし、その崩壊後はスイスへ亡命を余儀なくされ、

異国の地で失意のうちに亡くなりました。



この所蔵展でちょっと驚いたのは、

ジョヴァンニ・セガンティーニの絵があったことです。
彼の描いたアルプスの風景画が好きなのですが、今回の展示作品は人物画でした。

 


「婦人像」(1883-84)


彼は、北イタリアのチロルで生まれ、ミラノの美術学校に通いました。
この絵を描いた頃の1883年、アムステルダム万博で、

彼の描いた「湖を渡るアヴェ・マリア」が金賞を受賞して名声が高まります。


彼は美しく澄んだ風景画を描く一方で、上の絵のような女性像を多く描いています。
それは、幼いときに母を失っていることに起因しているようです。


この他に、ベルナール・ビュッフェの絵が一枚あったのですが、

この絵だけは撮影がダメでした。(泣)


次回は、隣の福山城を紹介します。