別れの季節 | くも膜下出血と脳動脈瘤の体験記

くも膜下出血と脳動脈瘤の体験記

36歳でくも膜下出血と脳動脈瘤を体験した記録です。
発症時の様子、手術時の実況中継、術後の経過、術後仕事の様子、かかるお金のこと、脳卒中全般の簡単な知識、三途の川を渡った後の世界観まで…全て包み隠さずお伝えします(笑)

本当は3月にアップしたかった記事ですけど

リハビリリハビリ。焦らずゆっくり…。

 

 

おかげ様で

カツオ(息子)が今春

無事小学校を卒業しました。

 

卒業式では最初から最後まで

 

入場前から泣き

入場で泣き

卒業証書授与で泣き

校長先生の式辞で泣き

あー泣いた泣いた

1年分泣きました。

 

私が発症したのが3年前。

そのときカツオは4年生でした。

 

母親が生死をさまよい

危篤状態が数日続いたり

10歳ではそれを

どのくらい認識していたんだろう?

 

私の状態が落ち着くまでは

突飛な行動をとったりして

(突然家出+脱走とか)

子供なりにつらかったんだろうなと思います。

 

患者の家族もまた、第2の患者。

そういう言葉があるらしいですが

本当にその通りだと思います。

 

12歳になるかならないかあたりから

事あるごとに

「どうしても長生きしてほしいんだ」と

しつこく言うようになりました。

 

これまでは

短距離走をひたすら繰り返すような人生を送ってきて

それで無意識的に

「生きている感」を感じていた部分があったけど

 

長く豊かに生きていくには

根本からその考え方を見直さなきゃなぁ。

持続可能で豊かに長く生きるための

ペース配分とは?

 

いろんなことがぐるぐる頭を駆け巡った

6年生の1年間でした。

 

丁寧な子育てはできませんでしたが

無条件の愛情だけはなるべく注いだつもりでいます。

がんばって長生きするよ、これからも。

 

 

そして3月末には退職される方を見送りました。

昨年も寂しいお別れがたくさんあったけど

今年もまたさらにでした。

私にとっても一つの区切りの日でもありました

 

3年前

私の仕事人生において

最大の迷惑をかけてしまったのに

そんな私を決して見捨てずに

使って育ててくださった

当時の上司と

 

いつも不思議とピンチのときに

妙な勘が働くのか連絡をくださり

元気と生き抜く希望を与えてくださった

かつての上司

 

このお二人は私の人生の恩人

本当にありがとうございました。

お別れのご挨拶をしたとき

私、へらへら笑ってましたけど

笑わないと

ついつい涙がでそうだったからですよ。

 

 

定年退職って言葉としてはありふれてますけど

ものすごい偉業だと思ってます。

 

だって道中、何がでてくるかわからないんです!!

 

突然

道が二股に分かれたりとか

熊がでてきて襲ってきたりとか

はしごがあるから登ったら

すっかりなくなってたりとか

片道だけの切符を渡されたりとか

ときにはハニートラップとかもあるのかな(笑)

 

それでもそれを

なんとかかわしたり

戦ったり踊ったりしながら

職責、重責を全うする。

・・・本当にすごいことです。

 

新人のときから

たくさん面倒をみてくださった方々が

この数年でどんどんご退職になっていきます。

どうかこれからも

引き続きご指導いただきますように。

 

そしてたまには

ゆっくり近況報告しあえますように!








(桜より梅が好きだというと、ひねくれものだと言われます(笑)…)