本当は3月にアップしたかった記事ですけど
リハビリリハビリ。焦らずゆっくり…。
おかげ様で
カツオ(息子)が今春
無事小学校を卒業しました。
卒業式では最初から最後まで
入場前から泣き
入場で泣き
卒業証書授与で泣き
校長先生の式辞で泣き
あー泣いた泣いた
1年分泣きました。
私が発症したのが3年前。
そのときカツオは4年生でした。
母親が生死をさまよい
危篤状態が数日続いたり
10歳ではそれを
どのくらい認識していたんだろう?
私の状態が落ち着くまでは
突飛な行動をとったりして
(突然家出+脱走とか)
子供なりにつらかったんだろうなと思います。
患者の家族もまた、第2の患者。
そういう言葉があるらしいですが
本当にその通りだと思います。
12歳になるかならないかあたりから
事あるごとに
「どうしても長生きしてほしいんだ」と
しつこく言うようになりました。
これまでは
短距離走をひたすら繰り返すような人生を送ってきて
それで無意識的に
「生きている感」を感じていた部分があったけど
長く豊かに生きていくには
根本からその考え方を見直さなきゃなぁ。
持続可能で豊かに長く生きるための
ペース配分とは?
いろんなことがぐるぐる頭を駆け巡った
6年生の1年間でした。
丁寧な子育てはできませんでしたが
無条件の愛情だけはなるべく注いだつもりでいます。
がんばって長生きするよ、これからも。
そして3月末には退職される方を見送りました。
昨年も寂しいお別れがたくさんあったけど
今年もまたさらにでした。
私にとっても一つの区切りの日でもありました
3年前
私の仕事人生において
最大の迷惑をかけてしまったのに
そんな私を決して見捨てずに
使って育ててくださった
当時の上司と
いつも不思議とピンチのときに
妙な勘が働くのか連絡をくださり
元気と生き抜く希望を与えてくださった
かつての上司
このお二人は私の人生の恩人
本当にありがとうございました。
お別れのご挨拶をしたとき
私、へらへら笑ってましたけど
笑わないと
ついつい涙がでそうだったからですよ。
定年退職って言葉としてはありふれてますけど
ものすごい偉業だと思ってます。
だって道中、何がでてくるかわからないんです!!
突然
道が二股に分かれたりとか
熊がでてきて襲ってきたりとか
はしごがあるから登ったら
すっかりなくなってたりとか
片道だけの切符を渡されたりとか
ときにはハニートラップとかもあるのかな(笑)
それでもそれを
戦ったり踊ったりしながら
職責、重責を全うする。
・・・本当にすごいことです。
新人のときから
たくさん面倒をみてくださった方々が
この数年でどんどんご退職になっていきます。
どうかこれからも
引き続きご指導いただきますように。
そしてたまには
ゆっくり近況報告しあえますように!
