見る自分と見られている自分を知ることですかね。
専門用語でメタ認知という言葉をご存知でしょうか?
聞いたことがある人はピンとくるかと思いますが、
まさにそれです。
頭上から自分の行動を見つめられている状態ですね。
エヴァを見たことがある人はありますが、
主人公が自分自身と対話をしているシーンがありますが、
アレに近いかもしれません。
哲学やコミュニケーションを語るうえで欠かせないのは、
自分と向き合って会話ができる状態を作ることだと思っています。
I am みたいな状態を作っておくことですね。
セルフトークと言ってもよいでしょう。
コレが出来ていないと、他人の言葉や世間の尺度に流されて、
そこに合わせることばかり考えてしまいます。
詳しいことは別の記事でお伝えしますが、
他人の言葉や世間の尺度は引きあがる一方だと思います。
言うなら、偏差値みたいなもので偏差値50まで達したら、
60を求め、更に70、80と限りがない状態です。
何かに対して努力をしていたり頑張っている人ほど、
この世間の尺度に振り回されているのが垣間見れます。
「今より頑張らないと、周りに追い付いていけない」
「このままじゃダメだ、何とかしないと」
「あの人は私よりも凄い、このままでいいんだろうか」
目標を持って努力をすることは、
決して悪いことではないし、個人的には推奨しますが、
何の根拠もなく駆り立てられているだけなら、あまりお勧めしません。
こういう人ほど実は自己否定に走る傾向が強く、
悩んだりすることが多いからです。
ありのままの自分を受け入れられない状態になりやすいのです。
例えばココロの底から、
「私は、能力のある人間だ」
「私は、人から愛される人間だ」
「私は、やればできる」
と思える人って実は少ないです。
これから私が指摘をする現代人の「悩み」の多くは、
根拠のない焦燥感によって、
マイナスに働くような状態になってしまっているのではないか
と考えています。
また、意図的に現代人がそのように思うような罠が
実はところどころあると思っています。
その結果
「私ってどうせ何をやってもうまくできないんだ」
というマイナスの言葉を植え付ける状態になっているというのが、
現在私が考えていることでもあります。
今回お話をする「生きる自信の心理学」の目的を簡潔にいうと、
自分を肯定的にみれるような状態を作り、
そこからセルフイメージをあげられる状態を維持していきましょう
そういえば、一時期 I Believe myselfなんて言葉が流行りましたね。
自己啓発セミナーで変なカンフル剤を打たれて、
根拠なくうおぉぉぉー、俺はやれるーという状態を目指してもいません。
(ある意味、こいうのがいちばん危険)
また、自惚れ、虚栄心ともちょっと違っています。
もっと本質的なことからスタートをしています。
コレを読んでいるあなたが、
本当の意味で自分自身を信じられる状態になることを目指しています。
また、これを読んでいるあなたにも、
ココロの底から「生きる自信」がわいて、
悩みと上手に付き合いながら、あなたらしい人生を送ってもらえればと、
心から願っています。
次回を楽しみにしていて下さい。
ディベート・ダーウィズムって何ですか?
私が勝手に作ったジャンルの一つです。
ダーウィズムとはその名の通りダーウィンさんが論じている進化論ですね。
Evolution
はじめに言っておきますが、
皆さん!ディベートを学んで進化をしましょう♪
といった企画(?)はなく、ディベートそのものを進化させようという
私の独自の取り組みです。
なので、興味本位で読んでもらえると助かります。
なぜこんなことを思ったかというと、
これからディベートを流行らせるに当たって、
ディベートそのものの仕様を変更した方がいいかなーという。。。
ここ5年間ぐらい200人にディベートを教えていて思ったことです。
社会人になってからはビジネスパーソンの方を
対象にディベートを教えてきたのですが、
そこで、ちょっと疑問が生じました。
自分がこれまで学んできたディベートって
実はビジネスパーソンの人から求められているモノなのか?と
5年前の話ですね、、、それまで私が学んでいたのは、
数あるディベートの中の一つのジャンルである
「アカデミック・ディベート」というモノでした。
日本では、ディベート=アカデミックディベートという認識がありますが、
実はコレは大学生向けの内容になっていることに気付きました。
具体的にいうと、
大学生・大学院生が卒業論文を書くときに力を発揮する内容です。
より踏み込むならば、経済学部、経営学部、社会学部、法学部といった
社会学系の学生に向けて作られています。
テーマそのものは法学部や政治経済学部よりのものが多いでしょう。
ひとつのテーマに対して入念にリサーチを行って、
その分野の専門家と話ができるくらいのレベルになって、
はじめてディベートの試合をすることができます。
例えばディベートでいうところの死刑論題がよい例でしょう。
憲法の解釈、死刑の効果、国家が人を殺すことの是非についての
一定の知識を持っていることが当然のように求められます。
全くこれらの知識がないから試合ができませんは理由にならなくて、
知識がないのなら図書館に足を運んだり、ネットで調べたり、専門書を読んだりして、
徹底的に調べないといけません。
圧倒的な知識を持っていて、
それらを論理に落とし込んで、
更に言葉に転化する作業を行わなければなりません。
知識⇒論理⇒言葉
ですね。
さて、何が問題かというと・・・
これってメチャクチャ大変じゃね?
ということです。
極論をいうと、時間と労力が半端なくかかるわけです。
試合に参加をして勝ちたければ、
それこそ2、3ヶ月前から準備をはじめないと間に合いません。
それこそ情報集めから始まって、
その情報を実戦でスグに使えるくらいまで整理をして、
更に何度か反復練習を繰り返して、情報がたりなけばまた集める。
そして、整理をする、、、といった泥臭い繰り返し作業です。
時間がある大学生やそれこそ組織的に動けて
マンパワーをフル活用できる人でないと勤まらないわけです。
某大手コンサルティング企業のプロジェクト並みの
大変さを味わうことになるでしょう。
またそれくらい取り組まなければ、
ディベートのスキルは見に尽きません。
平日に会社に勤めている人がコレをやるものなら、
それこそ休日は全て犠牲にしてリサーチ・編集・実践の繰り返しです。
これが俗にいうアカデミックディベートの世界です。
何が言いたいかというと、
これ本気でできますか?
そしてやりたいですか?
続ける覚悟はありますか?
という問いかけです。
私だったらNOと答えます。
勿論アカデミックディベートを1年くらい通しで行う気力があれば、
あなたの求めているスキルは身につくかも知れませんが、
平日に会社に勤めている人なら、そこまでする時間はないはず。
仮にそんな時間があるなら、
語学や資格取得の勉強をした方がキャリア的にもよいわけです。
結論からいうと、ディベートのスキルを身につけて、
今すぐにでも仕事に生かしたいという人達のニーズには、
全くマッチしていないわけです。
繰り返しになりますが、アカデミックディベートの場合は、
身につくスキルが大学生が論文を書くのに必要とされているモノが多く、
ビジネスパーソンが実務で使うのに求められている
ロジックやプレゼンスキルとは全く別です。
別に彼ら・彼女らは学術論文を書きたいわけではないし、
これを読んでいるあなたもそうだと思って、この記事を書いています。
「プレゼン能力を身につけたいんです」
「来月に商談があるため、交渉スキルを・・・」
というニーズを持った顧客に対して、
「はいはい学術論文の書き方を教えます。まずは・・・があって」
というくらいチグハグな現象が今のディベート業界で
起きているように思えて仕方ありません。
何が問題かといわれたら、
完全にディベートの仕様...ですかね。
逆にいうと、ここら辺に
上手にメスを入れられるようになれば、
顧客のニーズにマッチしたディベートを
創れるのではないかと個人的に思っております。
あ、、、最後に誤解せずに言っておくと、
アカデミックディベートそのものを批判しているわけではないですよ。
大事なことは、
ディベートをひとくくりにせずに、
色々な可能性があってよいということです。
また、一人ひとりが試せばいいだけの話ですから。
当面はコレについて研究してみようと思います。
以上、、、最後まで読んで下さってありがとうございます。
私が勝手に作ったジャンルの一つです。
ダーウィズムとはその名の通りダーウィンさんが論じている進化論ですね。
Evolution
はじめに言っておきますが、
皆さん!ディベートを学んで進化をしましょう♪
といった企画(?)はなく、ディベートそのものを進化させようという
私の独自の取り組みです。
なので、興味本位で読んでもらえると助かります。
なぜこんなことを思ったかというと、
これからディベートを流行らせるに当たって、
ディベートそのものの仕様を変更した方がいいかなーという。。。
ここ5年間ぐらい200人にディベートを教えていて思ったことです。
社会人になってからはビジネスパーソンの方を
対象にディベートを教えてきたのですが、
そこで、ちょっと疑問が生じました。
自分がこれまで学んできたディベートって
実はビジネスパーソンの人から求められているモノなのか?と
5年前の話ですね、、、それまで私が学んでいたのは、
数あるディベートの中の一つのジャンルである
「アカデミック・ディベート」というモノでした。
日本では、ディベート=アカデミックディベートという認識がありますが、
実はコレは大学生向けの内容になっていることに気付きました。
具体的にいうと、
大学生・大学院生が卒業論文を書くときに力を発揮する内容です。
より踏み込むならば、経済学部、経営学部、社会学部、法学部といった
社会学系の学生に向けて作られています。
テーマそのものは法学部や政治経済学部よりのものが多いでしょう。
ひとつのテーマに対して入念にリサーチを行って、
その分野の専門家と話ができるくらいのレベルになって、
はじめてディベートの試合をすることができます。
例えばディベートでいうところの死刑論題がよい例でしょう。
憲法の解釈、死刑の効果、国家が人を殺すことの是非についての
一定の知識を持っていることが当然のように求められます。
全くこれらの知識がないから試合ができませんは理由にならなくて、
知識がないのなら図書館に足を運んだり、ネットで調べたり、専門書を読んだりして、
徹底的に調べないといけません。
圧倒的な知識を持っていて、
それらを論理に落とし込んで、
更に言葉に転化する作業を行わなければなりません。
知識⇒論理⇒言葉
ですね。
さて、何が問題かというと・・・
これってメチャクチャ大変じゃね?
ということです。
極論をいうと、時間と労力が半端なくかかるわけです。
試合に参加をして勝ちたければ、
それこそ2、3ヶ月前から準備をはじめないと間に合いません。
それこそ情報集めから始まって、
その情報を実戦でスグに使えるくらいまで整理をして、
更に何度か反復練習を繰り返して、情報がたりなけばまた集める。
そして、整理をする、、、といった泥臭い繰り返し作業です。
時間がある大学生やそれこそ組織的に動けて
マンパワーをフル活用できる人でないと勤まらないわけです。
某大手コンサルティング企業のプロジェクト並みの
大変さを味わうことになるでしょう。
またそれくらい取り組まなければ、
ディベートのスキルは見に尽きません。
平日に会社に勤めている人がコレをやるものなら、
それこそ休日は全て犠牲にしてリサーチ・編集・実践の繰り返しです。
これが俗にいうアカデミックディベートの世界です。
何が言いたいかというと、
これ本気でできますか?
そしてやりたいですか?
続ける覚悟はありますか?
という問いかけです。
私だったらNOと答えます。
勿論アカデミックディベートを1年くらい通しで行う気力があれば、
あなたの求めているスキルは身につくかも知れませんが、
平日に会社に勤めている人なら、そこまでする時間はないはず。
仮にそんな時間があるなら、
語学や資格取得の勉強をした方がキャリア的にもよいわけです。
結論からいうと、ディベートのスキルを身につけて、
今すぐにでも仕事に生かしたいという人達のニーズには、
全くマッチしていないわけです。
繰り返しになりますが、アカデミックディベートの場合は、
身につくスキルが大学生が論文を書くのに必要とされているモノが多く、
ビジネスパーソンが実務で使うのに求められている
ロジックやプレゼンスキルとは全く別です。
別に彼ら・彼女らは学術論文を書きたいわけではないし、
これを読んでいるあなたもそうだと思って、この記事を書いています。
「プレゼン能力を身につけたいんです」
「来月に商談があるため、交渉スキルを・・・」
というニーズを持った顧客に対して、
「はいはい学術論文の書き方を教えます。まずは・・・があって」
というくらいチグハグな現象が今のディベート業界で
起きているように思えて仕方ありません。
何が問題かといわれたら、
完全にディベートの仕様...ですかね。
逆にいうと、ここら辺に
上手にメスを入れられるようになれば、
顧客のニーズにマッチしたディベートを
創れるのではないかと個人的に思っております。
あ、、、最後に誤解せずに言っておくと、
アカデミックディベートそのものを批判しているわけではないですよ。
大事なことは、
ディベートをひとくくりにせずに、
色々な可能性があってよいということです。
また、一人ひとりが試せばいいだけの話ですから。
当面はコレについて研究してみようと思います。
以上、、、最後まで読んで下さってありがとうございます。
あらためて自己紹介をしたいと思います。
実は、ズルズルとディベートを続けていた学生時代の話ですね。
ディベートをはじめたキッカケは、
大学時代に、とある女性の先輩に声をかけられて、
ノコノコとついていったら、
ディベート部に入部をさせられたような人です。
大学二年生のはじめの頃でした。
そして翌日からはOBから、知人を誘ってくるように指示され
友人10人くらいに声をかけて、そのうち4人からOKをもらって、
結局残ったのはその4人のうち1人です。O氏と呼ぼう
つまり、好きで始めたとか、必要性を感じたからというよりは、
周りに流されて気付けば始めていて、
ディベート経験1週間でディベート部の副部長になったような人です。
そして、そこら辺の団体と付き合いをもつうちに、何も考えずに続けていました。
足を洗うチャンスはいくらでもあったけど、
好きな時に打ちこんで好きなときに
距離を置けばいいかなーと思っていたため、
続けるとかやめるとか考える機会がなかったような学生時代でした。
ぶっちゃけ合コンとか苦手だし、
テニサーとかお金を使うだけでタルイし、
大学時代はバイト、ゼミ・・・そして課外活動でディベートをしていた・・・
そんな感じです。
当時の私は相当なAHOでしたが(今でもか)、
2、3年間やればそれなりに覚えますし、
その時の私の通っていた大学ではディベートが、
ちょっとしたブームだったこともあり、
どっかの名前も顔も知らない教授からお呼びがかかり、
ゼミ生たちにディベートを教えてあげてほしいと頼まれ、
煽てられて乗せられて、祭り上げられて、続けていました。
なぜブームになったかというとウチの大学のゼミは特殊で、
まるで企業が新卒採用をするかの如く
ゼミ生たちが後輩をリクルートする文化があります。
10月頃になると、ゼミの説明会がはじまり先輩たちが
後輩たちの獲得競争にいそしんでいます。。
今となってはお遊びですけど、当時は私も真剣に取り組みました。
そして1年時にその競争に巻き込まれました。
じゃあ、何でディベートなの?と言われると、
ディベートをしていると本気で取り組めるゼミという印象がつくのか、
まるでラーメン、餃子、チャーハン、ビールの感覚で
「ディベートを学べます」という看板を立てているゼミがあるわけです。
経営的な話でいうと、差別化みたいなものです。
しかし、フタを開けるとディベートができる学生なんて誰もいないし、
それを謳っている教授もディベートそのものは出来ないわけです。
そして、自ら学ぶ姿勢すらありません。
(大ぼら吹いてんじゃない!)
だから、外部にいる人を呼んでくる。
実際に同じサークルの後輩にも結構お呼びがかかったみたいですね。
「所詮俺たちは使い捨て」
といった感じで
お酒を片手に寂しそうに語っていた
彼の顔は今でも忘れません。
嗚呼
今思うと、チョッとした茶番劇でもありましたね。
まぁ、使い捨てられた分だけ無駄に外の人に伝えるスキルは身につきましたね。
社会人になってからもこの感覚でディベートを続けているのか、
ディベートを教えることが板についてしまった人でもあります。
幸か不幸かはあまり考えないようにしています。
犠牲にしている部分もあるかもしれませんが、
気付かないうちに踏み絵を踏みまくっていたので、
トコトン突っ走るしかないと決断をした今日この頃です。
tommorow never knows
最後に・・・
ディベートではないセミナーですが、
コチラにも興味を持ってもらえると嬉しいです。
http://cosmology.creative-team-web.net/entry3.html
実は、ズルズルとディベートを続けていた学生時代の話ですね。
ディベートをはじめたキッカケは、
大学時代に、とある女性の先輩に声をかけられて、
ノコノコとついていったら、
ディベート部に入部をさせられたような人です。
大学二年生のはじめの頃でした。
そして翌日からはOBから、知人を誘ってくるように指示され
友人10人くらいに声をかけて、そのうち4人からOKをもらって、
結局残ったのはその4人のうち1人です。O氏と呼ぼう
つまり、好きで始めたとか、必要性を感じたからというよりは、
周りに流されて気付けば始めていて、
ディベート経験1週間でディベート部の副部長になったような人です。
そして、そこら辺の団体と付き合いをもつうちに、何も考えずに続けていました。
足を洗うチャンスはいくらでもあったけど、
好きな時に打ちこんで好きなときに
距離を置けばいいかなーと思っていたため、
続けるとかやめるとか考える機会がなかったような学生時代でした。
ぶっちゃけ合コンとか苦手だし、
テニサーとかお金を使うだけでタルイし、
大学時代はバイト、ゼミ・・・そして課外活動でディベートをしていた・・・
そんな感じです。
当時の私は相当なAHOでしたが(今でもか)、
2、3年間やればそれなりに覚えますし、
その時の私の通っていた大学ではディベートが、
ちょっとしたブームだったこともあり、
どっかの名前も顔も知らない教授からお呼びがかかり、
ゼミ生たちにディベートを教えてあげてほしいと頼まれ、
煽てられて乗せられて、祭り上げられて、続けていました。
なぜブームになったかというとウチの大学のゼミは特殊で、
まるで企業が新卒採用をするかの如く
ゼミ生たちが後輩をリクルートする文化があります。
10月頃になると、ゼミの説明会がはじまり先輩たちが
後輩たちの獲得競争にいそしんでいます。。
今となってはお遊びですけど、当時は私も真剣に取り組みました。
そして1年時にその競争に巻き込まれました。
じゃあ、何でディベートなの?と言われると、
ディベートをしていると本気で取り組めるゼミという印象がつくのか、
まるでラーメン、餃子、チャーハン、ビールの感覚で
「ディベートを学べます」という看板を立てているゼミがあるわけです。
経営的な話でいうと、差別化みたいなものです。
しかし、フタを開けるとディベートができる学生なんて誰もいないし、
それを謳っている教授もディベートそのものは出来ないわけです。
そして、自ら学ぶ姿勢すらありません。
(大ぼら吹いてんじゃない!)
だから、外部にいる人を呼んでくる。
実際に同じサークルの後輩にも結構お呼びがかかったみたいですね。
「所詮俺たちは使い捨て」
といった感じで
お酒を片手に寂しそうに語っていた
彼の顔は今でも忘れません。
嗚呼
今思うと、チョッとした茶番劇でもありましたね。
まぁ、使い捨てられた分だけ無駄に外の人に伝えるスキルは身につきましたね。
社会人になってからもこの感覚でディベートを続けているのか、
ディベートを教えることが板についてしまった人でもあります。
幸か不幸かはあまり考えないようにしています。
犠牲にしている部分もあるかもしれませんが、
気付かないうちに踏み絵を踏みまくっていたので、
トコトン突っ走るしかないと決断をした今日この頃です。
tommorow never knows
最後に・・・
ディベートではないセミナーですが、
コチラにも興味を持ってもらえると嬉しいです。
http://cosmology.creative-team-web.net/entry3.html
ディベートなんてちっともオモシロくない!
と私が叫んだら、
はぁ何言ってんだよ!
AHOじゃねー
あんだけやっておいて
と言われるでしょうね笑
私の知人・ディベート仲間、教えている生徒さんたちは、
私のことをかなりのディベート好きだと思っているみたいですね。
マニアというか、オタクというか、何というかです。。。
実際に知人からも「よくやるねー」と呆れた顔で言われたりもします。
家族からも「バカじゃないの?」と言われる始末ですから。。
ある種、こういう人は変人かと思われるのが、
世間一般の認識なのかもしれません。
世の中楽しいことなんて沢山あるのにも関わらず、
何でディベートを選んだのだろうか?
なぜこんなに続けられるのだろうか?
ディベートはこんなにも面白いのか?
と思うのが普通の感覚かと思います。
ええ、私もその通りだと思います。
変人でもない限り、
こうやって思うのが感覚は普通だとは思うのです。
ただ、ハッキリ言うと・・・私は正常です。
また、自分が他人からおかしい人と思われていることを理解して、
ディベートに取り組んでいます。
何を隠そう私自身が、
ディベートは超つまらねー
と思っています。
更にいうと、私はディベートそのものに興味はありません。
そこら辺は、他のディベート好きといわれている人と
決定的に異なるところかもしれません。
ディベートそのものにそこまでの楽しみを求めていませんし、
仮に求めているとしたら、
ゲームセンターに足を運んで簡単にゲームをする感覚です。
「気晴らしにやってみよーかー」と、
その程度なのです。
だから、私にとってのディベートは"プレイ"なのです。
いやらしい意味じゃないですよ!
崇高な理念を持って
ディベート普及活動に取り組む人や
教育的な意味を見出してディベートに
打ち込んでいる人と大きな違いです。
ぶっちゃけ楽しみたいように楽しんでナンボです。
それを踏まえて、
私がディベートに対して求めているのは
たったの2つです。
======================================
1 誰でもゲームとして楽しめるディベートを創りたい
2 自分の創ったディベートに参加してくれる人をトコトン楽しませたい
======================================
ちょっと苦労はしたけど、
折角ディベートを覚えたのだから、
ちょっと発展させてオモシロイものをつくろーかなー
というテキトーな気持ちでリブートしたぐらいです。
当時仕事がルーチンと化して退屈感を覚えていたので、
そこら辺のストレス解消も有ったのかもしれません。
もしかしたらクリエーター×マーケッターの感覚を楽しみたかったのかもしれません。
その時の気持ちはあまり覚えていないのですが、
興味半分で色々と試してみたら、当たった!というのが正解。
ディベートに興味を持ってついてきてくれる人がいた。
上手くいったからハマった。そして続けた!
それだけです。
仮にあのときに失敗をしていれば、
今の私はここにいなかったでしょう。
そして、ディベートも続けていなかったのかもしれません。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
実は、8月17日,24日に行うワークショップもここから派生しています。
興味がある方は是非クリック!で
⇒ http://cosmology.creative-team-web.net/entry3.html
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
http://cosmology.creative-team-web.net/entry3.html
・行動がぶれる
・周りに流される
・自信を失っていく
・甘い言葉に弱くなる
・劣等感を抱きやすくなる
・騙されて高額商品を購入する
・その商品がよくても成果が出せない
・すると、販売者を詐欺呼ばわりしはじめる
・次第に被害者を演じて、自分を守ることばかり覚える
・気付かないうちに、人生がこういった行動の繰り返しになる
おはようございます・・・眠いですね。。。
嗚呼、眠い・・・ブラックコーヒーを飲んでスカッとしたいモノです。
さて、最近ハマっている哲学の話し・・・
哲学にハマっているというよりは、
本音をいうと、17日,24日にワークショップをするので、
集客をしたいだけなのかもしれません。
私はあり得ないくらいぶっちゃけるのが大好きな性格です。
隠し事なんてしない主義ですから。
ディベートをしている奴なんて、
お得意の論理でも使って調子よく人を騙すだけだろ!
なんてひどいこと言われたこともあったので・・・
まぁ、でもそんなものだと思っています。
何を隠そう・・・私自身が、『マーケッター』『コンサルタント』『ディベーター』はあまり信用していませんからね。
この言葉を聞くだけで、「怪しい」と思ってしまうような人です。
マーケッターなんて言葉を聞くと、
セグメントだのターゲットだの横文字を使っているだけの飛び込み営業と何ら変わりません。
椅子に座ってデータをいじっているイメージがあるかと思いますが、
私の知り合いのマーケティング部の人は飛び込み電話営業当然の仕事でしたね。
アメブロでもネットマーケティングの教材を購入している人がいますが、
ネットでスパム飛び込み営業をしている感じですね。
毎日、500件のイイねと読者登録30人のノルマを頑張って下さい。
コンサルタントもしかりです。
「専門的」「相談に乗る」「アドバイスをする」
みたいな職業みたいで如何にも知的でカッコよく
新卒学生が見たらキラキラするイメージがあるかと思いますが、
最近ではどこの企業でもコンサルタントを名乗っているのか、
この言葉に特別感を全く感じません。
コンサルタントという肩書さえ頂ければ、
顧客と上司の期待に応えるため月200時間以上サービス残業をしても
それが当然だと思ってしまう人のことです。
さしずめす●屋の店員はフードコンサルタントでしょうか?
最後に『ディベーター』・・・何ですかね?
自分も一応ディベーターですけど、
特別頭がよいわけではありませんからね。
中には、メチャクチャ論理に強い人もいますけど、
ほとんどがディベートというゲームのやり方を知っているだけで、
そこから大きく発展した人って実はあまり多くはないと思っています。
ぶっちゃけると論理の世界だけで自己完結をして、
そこからアクションを生み出せない人達が多いです。
口では、「知の創造」といっていますが、
実際にフタを開けると、知のテンプレで終始している人が何と多いことか・・・
実際に某団体が主催する大会には、
毎年100人ぐらいの新人が送り込まれるのですが、
翌年顔をみるのが10名程度ですね。
余談ですが、私は論理より創造を好む人間です。
しかし、だからと言って特別に頭がよいわけでもないし、
頭の中だけで全てを自己完結させるような人間でもないし、
それができるわけでもないし、したいわけでもない。
あえて言うなら、
全ては仮説と検証こそが創造をするうえで必要不可欠な要素だと思っています。
ビジネス、コミュニケーション、論理の世界も全て目的があって、
そこに行くまでに仮説と検証をどれだけ繰り返せるかですよ。
そこを知らないのか、知っていても気付かないふりをするのか、
見たいモノを見て、聞きたいことだけを聞いて、信じたいように信じるのか、
そういった答えがどこかにあるという錯覚に陥っているようにも感じます。
ネズミの嫁入り見たく、
外の世界に求めている答えはあるんだ!
と思いこんでしまうのでしょうjか?
逆なんですけどね・・・
大切なものは足元にしかない!
これが答えだし、これこそが全てだと思っています。
だから、自分の中にあるリソースを知って、
少しでも有効活用しようとする姿勢から新しいものが生まれます。
アイディアなんて、既存のモノの既存のモノの組み合わせですから・・・。
外の世界にある素晴らしいものなんて幻想です。
それをどこかで解っていながら求めてしまうのは、
どーなのかなーと最近思ったりもするわけです。
こんな当たり前のことを真剣に考えるのが哲学だと言いたくて、
この場でお勧めをしています。
最後に、、、
どこかでこんな地味な考えに共感をしてもらえると嬉しいです。
最後にもう一度紹介をしておきます。
⇒ http://cosmology.creative-team-web.net/entry3.html
ええ、あなたにも哲学をはじめることの楽しさに気付いてもらいたいと思っています。